東京都豊島区の簡易宿泊所で昨年10月、無職木村清己さん(71)の遺体が見つかった事件で、警視庁捜査1課は強盗殺人の疑いで、今年3月に傷害事件を起こした後、自殺していた石毛義雄容疑者(79)を容疑者死亡のまま5日に書類送検した。同容疑者は元暴力団関係者で、石原伸司の名前で「夜回り組長」として少年少女の更生活動をしていた。最近の異変を親しい知人が証言した。

 石毛容疑者は昨年10月26日未明、豊島区駒込3丁目の簡易宿泊所で木村さんを窒息させて殺害し、腕時計(時価100万円相当)を奪った疑い。

 木村さんは事件の前日25日午後に宿泊所を訪れ、翌26日朝、宿泊所の仮眠室であおむけの状態で死亡しているのを清掃員に発見された。首に絞められたような痕があり、喉の骨が折れていた。

 捜査1課によると、宿泊所の防犯カメラで、石毛容疑者が入館時にはしていなかった腕時計を、26日未明の退館時に身に着けていたことが判明。数時間後、台東区の質屋に腕時計を持ち込んでおり、型番が木村さんのものと一致した。

 また、木村さんが着ていたガウンからは石毛容疑者の血液が検出され、26日午前2時10分の防犯カメラの画像には2人が一緒にいる様子も写っていた。

 石毛容疑者は今年3月6日夜、墨田区で知人男性を刃物で切り付けた後、近くの隅田川に飛び込み死亡していた。周囲には「死にたい」と話していたという。

 石毛容疑者は1980年代半ば、逮捕された警察署の留置場に女性を呼んでパーティーを行い、その写真を警察官に撮らせるという事件を起こし、国会でも警察のあり方が問題にされた。通算30年ほどの刑務所生活後「もう年を取ったし、残りの人生は人に感謝されることもしたい」と暴力団を辞めて、夜回り、作家活動をするようになった。そんな同容疑者がなぜ、殺人を犯し、自殺したのか。

 石毛容疑者の知人は「ここ数年、石原さんは一人暮らしでしたが、昨年夏ごろから『殺し屋に追われている』『ワゴン車のヤツらにさらわれそうになった』と、荒川区の自宅には戻らず“電波”が追跡されるのを恐れて携帯電話も処分し、ビジネスホテルを転々とする生活を送っていた。昔乱用したという覚醒剤の後遺症による妄想を心配したが、本人は『本当に追われている。心当たりがある』と話していた」と語る。

 逃亡生活初期は居酒屋で飲み、ビジネスホテルに泊まっていたが、カネが尽きていたようだ。

「生活費は知人に数千円~数万円ほど無心しまくっていたが、カネを貸してくれる相手は無限にいるわけではないので、困窮し、ホテルではなく、ドヤに泊まるようになったようです。今回の殺人事件の1週間後ぐらいに、公衆電話からカネの無心があり、高田馬場の喫茶店で会ったときは相変わらず『追われている』と話していたが、殺人のことはまったく口にしなかった。駅の交番の前で握手して別れたぐらい。警察には無関心で“追っ手”だけにおびえていた。着道楽の人だったのに、逃亡生活でボロボロの格好になって『疲れたなー』と漏らしていた」(同)

 かつては明るく能弁でヒゲの手入れを欠かさなかったが、別人のようにゲッソリし、無精ヒゲが生え、笑顔もなくなっていたという。逃亡の末の金欠で、金目になる腕時計を盗んだのだろうか。

 事情通は「事務所を構えていた暴力団時代、窃盗犯が盗品を売りにきていた。石原さんが転売ルートを持っていたからです。石原さんは高い貴金属、腕時計だけは買い取っていた。安物や偽物を売りつける役に立たない窃盗犯がいたら、裏で警察に通報し、警察に恩を売っていた。目利きは確かなんでしょうね」と指摘した。