〝流浪のフットボーラー〟MF田島翔(39=江の島FC)は7月にプロ雀士のテストに合格し、サッカーと異色の〝二刀流〟の道を歩み始めた。カズこと元日本代表FW三浦知良(55=JFL鈴鹿)にあこがれ、スペインやクロアチアなど世界7か国でプレーしたアタッカーは2014年にニュージーランドの名門オークランド・シティーで「干された」過去を振り返った。(連載全5回)


【サッカーと雀士の二刀流・田島翔が激動の半生を振り返る(3)】

 ――2014年にニュージーランド1部オークランド・シティーに入団した

 田島(フットサルの)シュライカー大阪を退団する時、ちょうどクラブW杯が開催されていてオークランド・シティーが来日していたんです。そこで、これまでの自分経歴やプレー映像を送ってクラブの方とやり取りし、オーナーやGMらに認められて正式に入団が決まりました。ただ、実際に現地に到着し、チームに合流しようとグラウンドに向かったら、監督が「お前は誰なんだ」と…。クラブからまったく話を聞いていないと怒っていたんです。

 ――クラブの怠慢だ

 田島 クラブが一方的に選手を獲得したこと、しかも監督にまったく連絡や相談がなかったことが不満だったようです。結局、チームには入ったのですが、完全に干されてました。練習には参加できたのですが、紅白戦など重要なトレーニングにはまったく参加させてもらえず、声もかけてもらえない。練習生のような扱いでメンバーにも選ばれませんでした。精神的には本当にきつかったです。

 ――不幸だが、改善されなかったのか

 田島 クラブが仲裁してくれることもなく、見かねたチームメートが監督にいろいろと話してくれたんですけど、頑固な方で状況は変わりませんでした。それで退団を余儀なくされ、地元に帰り(15年から地域リーグの)スカイアース北海道でプレーすることになりました。でも、シーズン中に3回も肉離れを起こしてほとんどプレーできなかったため、オフにクラブから「コーチとして契約するのはどうだ」と言われたんです。でも、まだ選手でプレーしたかったので退団しました。

 ――16年には米国に渡り(米国独立リーグ、UPSL=実質4部)マイアミ・ユナイテッド入りした

 田島 自分でクラブに売り込んで練習参加することになり、その後、入団が決まりました。そこには元ブラジル代表FWアドリアーノがいたんです。強烈な左足は健在でしたが、体力はなく、いつもイライラしながらプレーしてましたね。ただ治安が良くなくて街を歩くだけでも緊張感がありましたし、夜間外出禁止になることもけっこうあって。それでラスベガスに新しいチームができたと聞いて、応募したんです。

 ☆たじま・しょう 1983年4月7日生まれ。北海道北斗市出身。北海道函館工を卒業後の2002年にシンガポールへサッカー留学。04年にFC琉球入り。07年シーズン後に退団し、クロアチアやスペインでプレーし、12年にJ2熊本に入団した。その後、ニュージーランドや米国、韓国、サンマリノでプレーし、22年に江の島FCに加入。同年7月、プロ競技麻雀団体RMUの入会試験を受け合格した。168センチ 62キロ。