2007年11月14日 浦和がACLで日本勢優勝 浸透していた「オシム教」

2020年11月15日 10時00分

オシム監督が浦和のACL制覇に貢献した

【東スポ60周年記念企画 フラッシュバック(30)】その快挙は名将の“一喝”から始まった――。2007年11月14日、J1浦和が日本勢で初めてアジアチャンピオンズリーグ(ACL)で優勝し、日本サッカー界を盛り上げた。選手はもちろん、スタッフやサポーターの奮闘が結実した形となったが、それを見守りながらも時に叱咤激励してきたのが、当時日本代表監督だったイビチャ・オシム氏。本紙連載「フラッシュバック」では偉業達成までのオシム氏の言葉をひもとき、浦和がアジアの頂点に立つまでを追った。 

 ACL決勝第1戦で浦和がアウェーでセパハン(イラン)と1―1で引き分けてから1週間。第2戦が行われた埼玉スタジアムはACLレコードとなる5万9034人のサポーターで埋め尽くされ、快挙達成の舞台は整えられた。

 緊張感の漂う中で推移した前半22分、MFロブソン・ポンテのパスを受けたFW永井雄一郎が先制ゴール。その後はケガで第1戦を欠場したDF田中マルクス闘莉王を中心とした鉄壁の守備で相手にチャンスをつくらせず、後半26分にはこの年から浦和の一員となったMF阿部勇樹がダメ押しのゴールを奪った。1次リーグから始まったオーストラリア、中国、インドネシア、韓国、イランの5か国6都市への遠征、総移動距離約5万3000キロの旅は「レッズ・カンペオン」の大合唱とともに大団円を迎えた。

 2006年元日の天皇杯優勝で出場権を獲得して以降1年をかけてスタッフ総出で準備。06年のACLに出場したG大阪、東京Vの遠征に同行し、大会の傾向やアウェーの情報収集、さらにライバルの分析など多岐にわたった研究の結果が出た。前年まで浦和の社長を務めた日本協会専務理事の犬飼基昭氏がリーダーとなり、この年に発足した「ACLサポートプロジェクト」の後押しも大きかった。

 闘莉王ら日本代表選手を多数擁し、助っ人外国人も欧州チャンピオンズリーグ出場経験があるMFポンテ、06年J1得点王のFWワシントンが君臨。FW岡野雅行、MF小野伸二らベテラン勢もおり、移籍したMF三都主アレサンドロの穴を感じさせない陣容だった。大会前からタイトル総なめも期待する声が少なくなく、選手たちも自信にあふれ、シーズンイン。

 だが、その鼻っ柱はいきなりへし折られた。07年2月に欧州遠征を敢行し、ローカル大会「ブルズカップ」に出場。05―06年シーズンにドイツ王者となったバイエルン・ミュンヘン、三都主とDF宮本恒靖(現G大阪監督)が所属するザルツブルク(オーストリア)と総当たり(1試合45分)で対戦したが、ザルツブルクに1―3、Bミュンヘンには0―3で完敗した。短いオフを挟んで準備不足だったのは否めなかったが、関係者のショックは大きかった。

 そこに待っていたのは日本代表のオシム監督からの“カミナリ”だった。帰国直後に招集された代表合宿で闘莉王、阿部、さらにGK山岸範宏、DF坪井慶介、MF鈴木啓太、MF相馬崇人の6人は初日の練習前にオシム監督から説教を受けた。「ふざけるな! どんな状況にしても情けない試合をするな! お前らは日本の代表のクラブとして招待されて行っているんだぞ!」

 これで目が覚めた浦和の代表戦士たちは、クラブに戻って“オシムイズム”をチームメートに注入。ケガで代表合宿に参加できなかったMF長谷部誠、FW田中達也、さらに助っ人勢も気合を入れ直した。ただ、オシム監督による浦和の選手たちへの糾弾の手は緩むことがなく、Jリーグ開幕前には「浦和の選手以外にもいい選手はたくさんいる」と代表落選を思わせる発言を続けた。

 この真意はどこにあったのか。オシム氏の通訳を務めた千田善氏はこんな話をしていた。「監督は浦和の選手を本当に信頼していました。代表監督就任後、チーム強化のために『(自身の戦術を理解している古巣の)千葉の選手を代表に大量招集したほうがいいのでは』と質問を受けましたが『むしろ逆だ。浦和の選手で代表を固めたほうが強くなる』とまで話していたほどですから。監督は浦和の選手を直接管理できません。だからそういう言葉で奮起を促したのでしょう」

 オシム氏のやり方を理解し始めた浦和イレブンは、名将に心酔していった。中でも闘莉王は事あるごとに「オシムさんのために」という言葉を口にした。当時、浦和を指揮していたホルガー・オジェック監督の手腕に疑問を持っていたという側面はあるものの、浦和というクラブの戦いでも常に日の丸を背負う意識でACLに臨んでいた。

 オシム氏によってパフォーマンスを大きく上げた選手がいる。それがMF鈴木だ。当時の浦和の強さは助っ人勢の決定力や闘莉王ら守備陣の強固さに支えられていたが、オシム氏は「水を運ぶ選手がいるチームこそが本当に強いチーム」と鈴木の献身性を高く評価していた。実際、鈴木は攻め上がりが多い闘莉王の穴を埋める動きも多く、最終ラインでのプレーは日本代表のインド遠征でも試されたほどだ。名将は浦和の強さの源を的確に見抜き、ACLで快進撃を続ける姿に目を細めていた。決勝第2戦直前には旧友であるセパハンのボナシッチ監督のもとを訪れたことでスパイ疑惑も浮上したが、実際はその逆で浦和の強さをアピールしていたという。代表監督の立場でありながら、浦和への愛を隠すことはなかった。

 激戦をくぐり抜けてきた浦和は、埼玉県民の日となった11月14日にACL史上初となる無敗(5勝7分け)でアジアの頂点に立った。だが「おめでとう」という短い祝福の言葉を贈ったオシム氏は、2日後の16日、千葉県内の自宅で脳梗塞で倒れた。日本全国のファンが心配する中、浦和の選手たちも即座に反応。闘莉王は涙ながらにオシム氏の回復を願った。

 ACLを制した浦和にはまだ天皇杯、リーグ戦の優勝の可能性が残されていた。だが連戦の疲労がピークに達していた選手たちは満足なパフォーマンスを見せられず、天皇杯は格下のJ2愛媛に完敗。圧倒的優利な状況だったリーグ戦も最終戦で横浜FCに敗れてまさかのV逸となった。それでも直後に行われた12月のクラブW杯では立て直し、日本勢最高となる3位。サポーターの心境は歓喜↓落胆↓歓喜とジェットコースターのように揺れ動いた。

 近年はリーグ戦で低迷する浦和だが、17年に2度目のACL制覇を達成し、国際舞台での強さを誇示した。日本サッカーに無限の可能性を見いだしていたオシム氏は、今ならどんな言葉を口にするのか。まだまだ楽しみは尽きない。

関連タグ: