【昭和~平成 スター列伝】アントニオ猪木の代役キラー・カーンと大激闘 アンドレ・ザ・ジャイアントが外国人初の看板リーグ制覇!

2022年07月31日 10時00分

アンドレはカウンターの18文キックで勝負を決めた(東スポWeb)
アンドレはカウンターの18文キックで勝負を決めた(東スポWeb)

 新日本プロレス、真夏の祭典「G1クライマックス」は7月16日に開幕し、日本全国で連日熱戦が展開されている。団体旗揚げ50周年のメモリアルイヤーに行われる今大会は、史上最多28選手がエントリー。22年ぶりに4ブロック制が採用され、外国人選手も実に半数の全14人が参加している。

 G1の長い歴史で外国人優勝を果たしたのは2016年のケニー・オメガのみ。G1の前身ともいえる看板リーグ戦の「ワールド・リーグ戦」(1974~77年)、「MS・Gリーグ戦」(78~82年)では外国人の優勝は実現せず、Wリーグ戦はアントニオ猪木と坂口征二が2回ずつ、MS・Gリーグ戦は猪木が81年まで4連覇を果たしており、外国人にはチャンスがなかった。

 初めて外国人で看板リーグで優勝を果たしたのは旗揚げから実にちょうど10年目の82年第5回「MS・Gリーグ戦」の“大巨人”アンドレ・ザ・ジャイアントだった。

 猪木が5連覇を狙った同年のリーグ戦は全14選手が参戦。アンドレは引き分けや両者フェンスアウトなどで失点は4試合あったものの、黒星はない勝ち点56でダントツの単独首位で公式戦を終了。一方の猪木も黒星は3月26日広島でアンドレに左ヒザを鉄柱やヒザでメッタ打ちにされ、リングアウト負けを喫した1戦のみの得点53で2位につけ、82年4月1日蔵前国技館で優勝決定戦が行われることになった。

 ところでここで大ハプニングが起きる。アンドレ戦での負傷(左ヒザ靱帯損傷)を押して戦い続けていたが、決勝前夜の3月31日愛知県体育館大会で藤波辰巳(現・辰爾)と組んでダスティ・ローデス、ディック・マードック組と対戦すると、ジ・アウトローズの徹底かつ無法な足攻めで右ヒザまで負傷してしまったのだ。猪木は「マードックのレッグブリーカーで右ヒザまでやられた。これで両ヒザが使えなくなった。明日? さあ殺せというカンジだ」と絶望し切った表情で語った。

 本紙は「選手生命の危機」と報じているが、さすがの猪木も闘魂で乗り切れる状況ではなかった。決戦当日に「左右ヒザ靱帯損傷とヒザ関節炎」のためドクターストップがかかり、決勝戦を辞退するまさかの展開となる。藤波に肩を借りてリングに上がった猪木は欠場をファンに詫びつつ「何としても出場するつもりだったが新間、坂口両氏の強い申し出とIWGPなど今後のことを考え涙をのんで断念した」と無念そうに語った。

 猪木の代役には得点49で3位につけていたキラー・カーンが出場。前年81年5月にはWWF(現WWE)でアンドレの左足をニードロップで骨折させたという「伝説」も残しており、代替カードとはいえ国技館は沸きに沸いた。本紙は1面と2面で決勝戦を報じている。

「第5回MS・Gシリーズの決勝戦は猪木が無念の欠場。3位から繰り上がったキラー・カーンが代役出場し、大巨人アンドレと大激闘をやってのけた。カーンはモンゴリアンチョップ、ハイキックで250キロをキャンバスに沈める大健闘。しかしトドメの最上段からのニードロップはデッドリードロップで叩きつけられ、カウンターの18文キックでフォールを奪われた。初優勝のアンドレは昨年暮れのMS・Gタッグリーグ戦に続く2冠となった」(抜粋)

 本紙は総評で「優勝したアンドレはスピードがついていたのが特筆される。やはり世界一の怪物である。このコンディションで臨まれては、大トロフィーを奪われてもいたし方なしといえる」と絶賛している。

 アンドレは74年3月15日岡山の初シングル戦でフォール勝ちして以来、76年10月7日蔵前の「格闘技世界一決定戦」や数々のNWFヘビー級選手権で猪木と激闘を展開してきただけに、猪木が棄権とはいえ「外国人として初のシングルリーグ戦優勝」の金看板は最高にうれしい日本での勲章だったに違いない。

「MS・Gリーグ戦」はこの年を最後に終了。翌年からは「IWGPリーグ戦」が開始する。(敬称略)

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