新日本プロレスとノアが、来年1月8日に横浜アリーナで対抗戦を行うことが11月20日に発表された。
新日本の大張高己社長は「ドリームマッチの実現の第1弾になります」と語り、ノアの武田有弘取締役も「プロレスの力で世の中の閉塞感を打ち破るような大会にしたい」と意気込んだ。
実はノアは2000年8月の旗揚げ戦後、全日本プロレス時代にはかなわなかった他団体との対抗戦に積極的に打って出ていた。01年3月2日のゼロワン両国国技館の旗揚げ戦では三沢光晴、秋山準組対橋本真也、永田裕志組戦が実現。この試合を機に秋山は永田とのパイプを強固にして、自ら新たな道を開拓する格好で独自の対外活動に打って出始めた。
秋山が熱望する格好で同年10月8日の新日本プロレス東京ドーム大会への出陣を宣言するや、永田と組んで歴史的初参戦。武藤敬司、馳浩組に快勝した。登場時にはブーイングを受けながらも、ジャンピングニーを武藤に決めると、永田が馳に岩石落とし固めを決めて、歴史的勝利をものにした。両団体の壁は、秋山と永田の積極的行動により崩れた。これを機に両団体は積極的に対抗戦を行っていくようになる。
そして同年12月19日には、翌年1月4日東京ドーム大会でのGHCヘビー級選手権(王者・秋山対挑戦者・永田)が正式決定。これも当時王者だった秋山が、社長の三沢に「どうせ永田選手とやるならGHCをかけたい」と直訴。三沢も「思い切ってやってこい」とゴーサインを出して実現したものだ。旗揚げ後のノアの積極的な外交策は全日本時代からは想像もできないほどで、この波はやがてマット界全体に波及するようになる。
一時は消滅の危機もあったが02年1月4日東京ドーム大会では、史上初めて新日本マットでGHC戦が実現。堂々メインで行われた一戦は大激闘の末、秋山がリストクラッチ式エクスプロイダーでV3に成功した。
秋山は「これ以上の緊張感を経験したい。小橋(建太)さんを口八丁手八丁でだまして引っ張り出したい」と対抗戦の継続を誓った。この言葉通りに、同年5月2日東京ドームでは三沢が新日本に初登場。蝶野正洋と引き分けた。そしてちょうど1年後の03年5月2日東京ドームでは当時GHCヘビー級王者の小橋が蝶野を退けて防衛を果たしている。
その後も交流は断続的に続いたが、16年に鈴木軍がノアマットから撤退して以来、交流は途絶えていた。「対抗戦」とハッキリ銘打った大会は前例がない。それだけに期待は高まる。早くも両団体の選手がそれぞれの思いを口にしているが、秋山と永田が団体間の壁を崩してから約20年、両団体の選手はどんな「夢カード」を見せてくれるのだろうか。 (敬称略)












