【天龍源一郎vsレジェンド対談「龍魂激論」(9=前編)】ミスタープロレスこと天龍源一郎(70)がホスト役を務める「龍魂激論」の2021年一発目は、元プロレスラーでRIZINキャプテンを務める高田延彦氏(58)が登場だ。3回にわたってお届けする前編では、24年前の激闘を振り返る。両雄は1996年9月11日に神宮球場で歴史的な初対決を果たし、同年度の東京スポーツ新聞社制定「プロレス大賞」年間最高試合賞を獲得。高田氏が神宮決戦で経験した“超常現象”とは何だったのか――。

 天龍 RIZIN大みそか大会の成功、おめでとうございます。お疲れさまでした。

 高田氏(以下高田)ありがとうございます。

 ――天龍さんは昨年11月15日のトークバトルでオカダ・カズチカ(33=新日本プロレス)を「高田選手以来のかっこよさ」と表現した

 天龍 戦った時に入場してくる姿を見て「ああ、やっぱりかっこいいなあ」と思ったのを覚えている。オカダ選手にも「カーッ、かっこいいじゃない」と高田選手のたたずまいを感じたんですよ。俺はアントニオ猪木さんとも戦ったけど「かっこいい」と思ったのは高田選手だけですよ。

 高田 言葉の勲章をいただいたようです。その言葉を3倍から5倍にしてお返ししたいですよ。それまで接点がなく、私のチョイスに天龍戦はあり得ないカードでしたからね。私は線の細いタイプだったけど、天龍さんは大相撲から上がって自分のスタイルを築き上げたトップレスラー。新日本でもUWFでもみんなで「天龍、すげえなあ」と話していましたから。自然体で武骨な感じで入ってきて、あの独特のたたずまいを見せてくれるプロレスラーはいなかった。同じレスラーにかっこいいと思わせる稀有な選手です。

 ――神宮決戦は異様な空気に包まれた激闘だった

 高田 夜空の下で野球場でしょ。大歓声が空に突き上がるわけですよ。しかも目の前にいるのが天龍源一郎。生涯交わることがないと思っていた先輩と戦う高揚感を覚えた。どんなパフォーマンスができるのか考えただけで体が震えた。超頑強なのは分かっていたからフルパワーで蹴らせていただきました。いやあ、気持ち良かったなあ…。

 天龍 会場が異様な大きさだったからね。俺は今まで高田選手のような蹴りやサブミッションを決められた経験はないし(神宮決戦は)不完全燃焼に終わった。だから(同年12月13日WAR)両国(大会での再戦)につながった。神宮はガーッと組み合うのではなく、ポンポンといいポイントでガーッと決められた。

 高田 あの日、あの夜、あの大舞台でずっと戦っていたかった。ここまでたどり着いたのかという気持ちだった。幸せというか、幸福感があった。空から見えたんですよ。自分が戦っている姿が。「おお、高田と天龍がやってる。お客さんもたくさん入ってる。いい仕事してるじゃないか」って。天空に行ったり、リングに戻ったり。ほとんどそんな経験はない。

 ――幽体離脱のような感覚だ

 高田 まあ、そんな感じです。アントニオ猪木とジャイアント馬場からフォールを奪った人ですからね。だからこそ、あそこまでの感覚を味わえたんでしょう。誰が一番すごかったと聞かれれば、今でも「天龍源一郎」と答えます。

 天龍 俺は高田選手が前年(1995年10月9日、東京ドーム)に武藤(敬司)に足4の字固めで負けたと新聞で読んだ時「武藤が勝ったのか」と思うよりも「あの高田が足4の字固めで負けたのか」と大きなショックを受けたんですよ。あれも不思議だった。

 高田 天龍さんがそういう感覚で見てくれていたのは意外です。

 ――四半世紀たっても決戦の高揚感は忘れられない

 高田 色あせない。この商売をやっている以上はプロレスに興味のない人も巻き込みたい。コアなファンだけではなく、普段プロレスを見ない人が神宮に集まってくれた。そんな環境の中で、天龍さんと肌を合わせた。花道を歩いてリングに向かう時から期待感でいっぱいでした。

 ――この年の「プロレス大賞」年間最高試合賞を受賞した

 天龍 そうだね。俺の中でもかなり特例的な試合だったから、心からうれしかったですよ。

 高田 だから結果的には間違いではなかったんですよね。

 天龍 次回はちょっと大相撲について語りましょうか。(中編に続く)

 ☆たかだ・のぶひこ 本名・高田伸彦。1962年4月12日生まれ。横浜市出身。81年5月9日の新日本プロレス、保永昇男戦でデビューし、84年に第1次UWFに移籍。崩壊後は新日本のジュニアヘビー級戦線で越中詩郎と名勝負を展開した。88年に第2次UWFに参加し91年にUWFインターナショナルを旗揚げ。総合格闘家としてPRIDE創成期を支え、ヒクソン・グレイシーと2度対戦。2002年11月24日の田村潔司戦で引退した。現役時は183センチ、100キロ。