ラッシャー木村さん 「実直」を絵に描いたような男

2020年11月14日 10時00分

馬場(下)に凶器攻撃する木村。後方は和田レフェリー(87年4月23日、新潟)

【和田京平 王道を彩った戦士たち】全日本プロレスの和田京平名誉レフェリー(65)が往年の名レスラーを語る連載「王道を彩った戦士たち」。今回は国際プロレス時代に“金網の鬼”として活躍し、全日本プロレス移籍後は“マイクの鬼”として愛されたラッシャー木村さん(享年68)の登場だ。

 実直を絵に描いたような人だった。無口だったけど、金網デスマッチで国際を支えたというすごみは背中を見ただけで分かった。それとギザギザの額。毎日毎日、金網で戦っていたらああなるよな。あそこまですごい額は(アブドーラ・ザ・)ブッチャーぐらいだった。

 新日本プロレスに初登場して「こんばんは」って言った事件(1981年9月23日、田園コロシアム)は有名でしょ。あれは木村さんの性格を如実に表しているよね。「このヤロー」とか脅すわけでもすごむわけでもない。初めて新日本のお客さんの前に出るんだから、本心からの言葉だったと思う。

(アントニオ)猪木さんとの抗争が本格化したら自宅に卵とか投げられたらしいけど「京平ちゃん、俺はね、あの時本当に参ったよ」と後年語っていた。ヒールとは裏腹の心の優しい人だったから、たまらなかっただろうね。

 その後、第1次UWFから(84年11月に)全日本に参戦したんだけど、もう一度新日本も狙ってたんだよ。後日「木村さん、何で全日本を選んだんですか?」って聞いたら「新日本は会社の重役が話に来た。全日本は馬場さんが料亭に招いてくれて、直接誘ってくれた。となればどちらを選ぶかは明白でしょう」と。馬場さんはその年の最強タッグのパートナーに木村さんを選んだし、選択は間違っていなかった。

 最大の転換期は(88年8月29日に)馬場さんにシングルで負けて「アニキと呼ばせてくれ」とマイクで言った時。日本武道館がドカーンときたもんね。ヒールから大ベビーフェースに変身ですよ。そこからは「マイクの鬼」でしょ。木村さんの性格を考えるとズバリだった。国際や新日本でムチを打ち続けた体を、初めてほぐしたんじゃないかな。

 その後は試合前、必ず「京平ちゃん、この土地は何が有名だっけ?」と聞くようになった。秋田ならきりたんぽ、博多なら明太子。名古屋だと「渕(正信)、今日は手羽先で一杯やって、締めはみそ煮込みうどんですね」。札幌だと「渕、お前今日は妙に張り切っていたけど、試合前にジンギスカン食っただろ、このヤロー」とか…そりゃあ、地方のお客さんは大喜びですよ。

 三沢(光晴)がノアを旗揚げして一緒に行ったけど、終身名誉会長になって、追悼興行もやってもらえたし、幸せな晩年だったと思う。やはり昭和を語る上で欠かせないレスラーですよ。

 ☆ラッシャー・きむら 本名・木村政雄。1941年6月30日、北海道・中川郡中川町出身。大相撲廃業後の65年4月2日に日本プロレスでデビュー。東京プロレスを経て67年国際プロレス入団。70年に日本初の金網デスマッチを行った。75年にIWA世界ヘビー級王座獲得。81年の国際プロ崩壊後は、新日本プロレスでアントニオ猪木と抗争。その後、第1次UWFを経て84年から全日本プロレス参戦。2004年ノアで引退し、10年5月24日に腎不全による誤嚥性肺炎のため死去した。

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