ダンプ松本 母への遺書 クラッシュファンに命を狙われる

2020年01月01日 11時00分

長与を丸坊主にした大阪城決戦。日本中の憎悪がダンプ(右)に集まった

【ダンプ松本の壮絶人生「極悪と呼ばれて」:連載10】ダンプ松本に改名した直後、私は最愛の母(里子さん=86)に“遺書”を書いた。これから日本中から憎まれる存在になる。親と妹に迷惑をかけるから、長女はもういないものと思ってくれ――そんな内容だったと記憶する。そしてクラッシュとの抗争が過熱するにつれ、“遺書”の内容は現実のものとなっていった。クラッシュへの大歓声と極悪同盟への憎悪が高まるにつれて、私の試合内容は凶暴さが増していった。

 想像していた通り、埼玉・熊谷の実家には何度も石を投げられた。「ダンプが憎い」というファンがマンション自宅へ空き巣に入り、NHKのニュースでも大々的に流された。被害は現金75万円と洋服や靴、下着、写真…明らかに嫌がらせ行為だ。

 この時はファンの女の子が「どうもこのグループらしい」と内密にクラッシュファンの容疑者グループを教えてくれた。私はそのうちの一人に電話をかけ「3日以内に目黒警察署に出頭しろ。でないと、お前も家族も親せきも東京じゃ暮らせないようにしてやる」と脅迫した。よほど怖かったのか、3日後に犯人グループは自首した。警察が電話をくれて「殴りたかったら殴らせますけど、署まで来ますか?」と連絡をくれたのは笑ったよ。金は全額戻らなかったけどな。

 クラッシュの人気は天井知らずになり、稼ぐ単位も数千万から億単位へと変わっていった。私が極悪の限りを尽くせば、皆のギャラも上がる。そう考えれば、ファイト内容はどんどん過激になっていく。ファンの嫌がらせもエスカレートする一方だった。

 84年暮れ、ギャラも大幅アップしたので赤いフェアレディZの新車をキャッシュで買った。350万だぞ。道場に乗りつけた初日に硬貨で「バカ、死ね」と傷をつけられた。さすがに泣いたよ、この時は。仕方なくバイクで行くとタイヤに釘を刺される。自転車で行けばサドルを盗まれる。最終的にはタクシーになるんだが、乗車拒否は日常茶飯事。「木刀とかチェーンとか持ってませんよね?」と運転手に泣きつかれることもあった。練習に来ただけなんだから持ってるわけねえだろう(笑い)。

 命の危険を感じたことは何度もある。大阪城ホール(85年8月)の髪切りマッチで千種を丸坊主にした時は、試合後に極悪同盟のバスを500~600人のファンが取り囲んで車体を揺すりながら「ダンプで出てこい!」と罵声を浴びせてきた。あの時は「殺される!」と思ったな。試合後に控室に戻る時は、ファンを押さえていた警備員に顔面を殴られた。さすがに激怒して「テメー、この野郎!」と詰め寄ると「だってお前が悪いだろう!」と叫んで逃げてしまった。頭にきて会社に言って警備員全員整列させて犯人を探した。それぐらいのワガママも通るようになっていた。

 品川区の飲み屋で酔った男性ファンに割ったビールビンを胸に突きつけられたのもこの時期だ。ファンが私に憎悪を向けるほど、クラッシュへの怒りは深まった。もう同期生で仲良しの千種と飛鳥じゃない。この時期、私は本当に2人が憎かったのだ。

☆だんぷ・まつもと=本名・松本香。1960年11月11日、埼玉・熊谷市出身。80年8月8日、全日本女子プロレス・田園コロシアムの新国純子戦でデビュー。84年にヒール軍団・極悪同盟を結成してダンプ松本に改名。長与千種、ライオネス飛鳥のクラッシュギャルズとの抗争で全国に女子プロ大ブームを巻き起こす。85年と86年に長与と行った髪切りマッチはあまりに有名。86年には米国WWF(現WWE)参戦。88年に現役引退。タレント活動を経て2003年に現役復帰。現在は自主興行「極悪祭り」を開催。163センチ、96キロ。

(構成・平塚雅人)

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