【プロレスPLAYBACK(1963年9月3日)】日本最古の歴史を誇るアジアタッグ王座は8月にベルトが新調され、グレート小鹿(77)、大仁田厚(61)の“令和の極道コンビ”が挑戦を表明している。合計138歳。本当に元気な人たちだ…。初の東京五輪開催の前年となる1963年9月3日、日本プロレスの祖・力道山、豊登組が愛知・金山体育館でサニー・マイヤース、ドン・ジャーデン組を退けて、アジアタッグ3度目の防衛に成功している。本紙は1面で「力道の“王座”安泰」の大見出しとともに、試合の様子を報じている。

「プロレス国際戦夏の陣・中京シリーズ第2戦は、3日午後6時30分から名古屋市金山体育館に約1万人(超満員)の大観衆を集めて行われた。メインイベント、注目のアジアタッグ選手権試合はマイヤース、ジャーデン組が、反則攻撃と足殺し作戦で荒れ狂い、レフェリーは試合途中で交代する異例の選手権試合となった。1本目は力道山が相手の反則により勝ち、2本目も力道山が怒りを爆発させてすさまじい空手チョップの乱れ打ちから敵将マイヤースをKOしてストレート勝ち。5月6日に札幌で王座復帰後、3度目のタイトル防衛に成功した。

 力道山の話「恥ずかしいよ。世界で初めてのバカな試合だ。マイヤースの老かいなトリックプレーと裏技を警戒したが、彼らは血迷って失敗した。中京シリーズが終わったら2週間ほど渡米する。オリンピックの時には東南アジアに遠征する。この計画は着実に進んでいる」(抜粋)

 6日後の9月9日、力道山は五輪資金財団に1000万円もの大金を寄付している。今なら約5000万円に相当するだろうか。日本中が五輪景気に沸いていた時代だ。当時、力道山は38歳、豊登は32歳。2人足しても小鹿の年齢に及ばないという事実も何だかすごい…。日本プロレス最強コンビにとってはこれが4度目の王座戴冠で、通算では20度の防衛に成功している。

 しかし力道山は12月8日に暴漢に刺され、1週間後の同15日、39歳で帰らぬ人となった。同年11月22日にはジョン・F・ケネディ米大統領が暗殺され、46歳の若さで亡くなっている。わずか1か月の間に日米の英雄が命を失い、希望に満ちていた高度成長期に暗い影を落とすことになった。(敬称略)