新間寿氏が明かす猪木と初代タイガーの隠された真実

2019年06月13日 11時00分

コーナーポストに上り、このポーズがタイガーマスクの条件だった。右下は見守る新間寿氏(82年4月)

【過激な仕掛け人・新間寿「悠久のプロレス史」連載1】元新日本プロレス専務取締役営業本部長で“過激な仕掛け人”と呼ばれた新間寿氏(84)が、マット界を振り返る新連載「悠久のプロレス史」がスタート! アントニオ猪木VSモハメド・アリの世紀の一戦を手がけるなど数々の功績を評価され、今年4月のWWE殿堂入りセレモニー「ホール・オブ・フェイム」ではレガシー部門で殿堂入りした。第1回では同氏が世に送り出した“最高傑作”初代タイガーマスク(佐山聡=61)による虎フィーバーの真相を激白だ。

 初代タイガーマスクは1981年4月から約2年4か月にわたり、日本列島を熱狂の渦に巻き込んだ。その正体である佐山を新日本プロレスに入団させたのが新間氏だ。73年に「プロレスラーになりたい」と山口・下関から上京した佐山と、東京・南青山の新日プロ事務所で初めて対面した。

 新間氏:色白で礼儀正しい美少年でね。言葉遣いも丁寧でえらく好感を持った。背は170センチあるかないかくらいだったから「170センチ以上になったら連絡しなさい」と伝えたんです。

 172センチ、65キロになった佐山は74年、新間氏の指示で後楽園ホール大会を訪れた。ところが会場では、社長のアントニオ猪木が「こんな小さいのばかり入れるな!」と新間氏を叱責。フロントの紹介だったため「レスラーのテリトリーに入ってこられるのが嫌だったのかな」(新間氏)。ところがしばらくすると、驚きの光景があった。

 新間氏:猪木さんの付け人になっているんだよ。「いいの見つけたよ。あれはひょっとすると、ひょっとするぞ」ってね。うれしくなったよ。

 本名でデビューした佐山は80年、英国に武者修行に出る。新間氏のもとにも「サミー・リーという名前で(香港のアクションスター)ブルース・リー以上の活躍をしている」との情報が届いた。そんな時、劇画原作者の梶原一騎氏から「新日プロでタイガーマスクをつくれないか」という依頼が届く。

 条件は「コーナーポスト最上段にロープをつかんで上り、指を天に向けてポーズを決めてからリングに下りることができる選手」。新間氏と猪木には同じ選手の名前が浮かんだ。

 新間氏:81年4月23日のデビューに向け4月10日ぐらいに国際電話を入れた。そうしたら「帰れる状況じゃないんです」と一丁前なことを言うんだ。でも「猪木さんも頼んでる」と言うと「分かりました」となった。

 帰国の際、現地の空港で出国できないトラブルがあったが、新間氏は親交のあった福田赴夫元首相に頼み、この難局を乗り切った。試合2日前に極秘帰国させ、外国人選手の定宿だった京王プラザホテルに宿泊させた。ここで新間氏はマスクの用意を忘れていたことに気づく。試合当日に東京・蔵前国技館の掃除用具が収まる物置小屋で、佐山は緊急発注されたコスチュームを身に着けることになった。

 新間氏:マントは布切れを縫い合わせて作ったんだよ。マスクなんか小さくて。物置に2人で入って、マスクをかぶせて「ダメか?」って聞いたら「大丈夫です」と。「格好いい、格好いい」って褒めまくってね。今残っていたら、何百万円で売れるだろうね。

 ダイナマイト・キッドとの衝撃のデビュー戦から、瞬く間に社会現象になった。テレビ中継(テレビ朝日系列)の視聴率は5~6%跳ね上がり、24~25%に。選手、社員にはシリーズごとに10万~30万円の特別ボーナスが支給され、年商は20億円を超えた。海外での人気もすさまじく、NWAから「タイガーのスケジュールが空いている時は使わせてほしい」とオファーも届いた。

 新間氏:外国人選手も控室から出てタイガーの試合を見ていた。これ一つとっても、毎日違う(スタイルの)試合をしていたということ。「今日は新しい技あるか?」と聞いたら「やってあげますよ」って出してくれたのがスペースフライングタイガードロップ(リング内で側転してからのトップロープ越えのプランチャ)。練習で(ミュンヘン五輪男子柔道2冠の)ウィリアム・ルスカから首絞めでギブアップを取ったり、腕相撲でもマサ斎藤を一発でいっちゃう強さもあった。

 日体大で体力測定をしたことがある。背筋力は293キロで、当時のレスリングの日本代表選手の平均値230キロを大きく上回った。だがこの状況に“ジェラシー”を感じていたのが猪木だったとか。デビューから1年後「タイガーを外国に出したらどうだ?」と提案があった。

 新間氏:営業部全員、大反対ですよ。あのころの会場人気は猪木さんより上だった。地方でも子供たちが触りたがるし「タイガーマスクになりたい」という手紙が月に何百通もきたしね。

 だがブームの終焉は早かった。83年8月にタイガーマスクは引退を表明。新間氏もクーデター騒動(猪木の事業アントン・ハイセルに新日プロから資金が流出していることに危機感を持つ幹部、レスラーが決起したとされる83年夏の騒動。社長の猪木、副社長の坂口征二、専務の新間氏が退陣した)で団体を去った。

 新間氏:タイガーマスクにくたびれちゃったのかな。同級生にも正体を隠していたから。ただ、タイガーがいなければ今のプロレスはない。佐山聡以上のマスクマンがいましたか? 全員、タイガーマスクに感謝しなければいけないし、私がWWEの殿堂入りができたのもタイガー抜きには考えられないですよ。

☆しんま・ひさし=1935年3月22日生まれ。東京・新宿区出身。中大卒業後、サラリーマン生活を経て東京プロレス旗揚げに関わった。72年に新日本プロレスに入社し、専務取締役営業本部長としてアントニオ猪木VSモハメド・アリやIWGP構想提唱などで辣腕を振るった。83年のクーデター騒動で退社し、その後はジャパン女子プロレスにも携わる。WWF(現WWE)会長やUWA会長を歴任し、現在はリアルジャパンプロレス会長。今年、レガシー部門でWWE殿堂入り。