【正田耕三 連載コラム】捕手・山崎武司を廃業させた89年の5盗塁

2020年06月26日 11時00分

1試合6盗塁を決め、お立ち台でファンの声援に応える正田

【正田耕三「野球の構造」(36)】野球では1プレー、時には1球で流れが変わることもあります。それどころか人生が変わってしまうことも…。入団5年目の1989年。僕のプレーで、結果的に一人の捕手の野球人生が大きく変わる出来事がありました。10月6日に巨人がリーグ優勝を決めてから9日後、旧広島市民球場で行われた10月15日の中日戦でのことです。

 前日の時点でセ・リーグの盗塁王争いはヤクルトの笘篠賢治が32個でトップ。僕が28個で2位、大洋(現DeNA)の高木豊さんが1差の3位で追う展開でした。残り試合はヤクルトが1試合でカープ3試合、大洋5試合。僕はタイトルを強くは意識していませんでしたが、その日はベンチも「行けるなら、どんどん行け」というムードになっていました。

 相手バッテリーは当時二十歳の2年目・上原晃と3年目・山崎武司。1番に入った僕は初回に一失で出塁すると2番・野村謙二郎の初球に二盗。2回には内野安打で出て一死一、三塁から二盗を決め、山崎の悪送球が絡んで三塁走者が生還し、なおも一死二塁の場面で三盗に成功しました。

 こうなったらイケイケです。3回から投手は左腕の杉本正さんに代わっていましたが、5回先頭で右前打を放つと、またも野村の初球に二盗。3球目には三塁を陥れました。この時点で1試合5盗塁。ベンチに戻ると広報の三輪悟さんからプロ野球記録が1試合6盗塁であることを知らされ、いやが上にも意識することになりました。

 子供のころから足には自信がありました。しかし、足が速いからといって盗塁ができるわけではありません。状況判断や相手バッテリーの配球を読むことも大事なことですが、突き詰めれば最も必要なのは勇気です。入団1年目には、こんなことがありました。大事な場面で盗塁を決め、それが勝利にもつながったのに古葉竹識監督から「なんで1球目にスタートが切れなかったんだ」と怒られたのです。

 話を“あの日”に戻しましょう。6回裏から相手捕手は強肩の中村武志に代わり、マウンド上は左腕・今中慎二。ベンチからの期待を背に、僕は7回一死走者なしから中前打で出塁し、野村の2球目にスタートを切りました。微妙なタイミングでしたが、二塁塁審の柏木敏夫さんの両手が水平に開き、プロ野球タイ記録に到達。新記録を狙った三盗は失敗に終わりましたが、この日の6個の上積みが決め手となり、僕は盗塁王のタイトルを獲得しました。

 ちなみに僕に5盗塁を許した山崎は、この日を最後に捕手を“廃業”しています。しかし、外野手や一塁手として打撃に磨きをかけたことで、のちにセ、パ両リーグで本塁打王に輝くなど、球界を代表する長距離砲となりました。勝った負けただけではない。こうした人生の交差もプロ野球の魅力であり、面白さだと言えるのではないでしょうか。

 ☆しょうだ・こうぞう 1962年1月2日生まれ。和歌山県和歌山市出身。市立和歌山商業(現市立和歌山)から社会人の新日鉄広畑(現日本製鉄広畑)に進み、84年ロサンゼルス五輪で金メダル獲得。同年のドラフト2位で広島入団。85年秋から両打ちに転向する。86年に二塁のレギュラーに定着し、リーグVに貢献。87、88年に2年連続で首位打者、89年は盗塁王に輝く。87年から5年連続でゴールデン・グラブ賞を受賞。98年に引退後は広島、近鉄、阪神、オリックスほか韓国プロ野球でもコーチを務めた。現役時代の通算成績は1565試合で1546安打、146盗塁、打率2割8分7厘。

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