13差独走から歴史的V逸 阪神・岡田監督の壮絶散り様

2020年06月11日 11時00分

08年10月8日、直接対決で敗れ、巨人にマジック点灯を許して肩を落とす岡田監督(中央)

【球界平成裏面史(46)、岡田阪神(7)】4位だった就任1年目の平成16年(2004年)以外は5年の在任期間、いずれも優勝に絡む争いを見せた。しかも、2年目の05年は堂々のリーグ制覇だ。こんなにも毎年、楽しませてくれる虎は数年前には想像もできなかった。もっとも、逃し方も壮絶だった。08年、岡田彰布監督がまさかの勇退で一時代にピリオドを打った。

 V逸もリベンジを期して臨んだクライマックスシリーズ第1ステージ(京セラ)で中日に敗退。最後は虎党の岡田コールの中でナインに胴上げされ号泣した。こんな辞め方の阪神の監督は他にはいない。そこまでの経緯もドラマチック過ぎた。巨人が達成した「メークレジェンド」。それを食らった指揮官の散り際は壮絶かつ華々しかった。

 オフにはFAで広島から新井貴浩を獲得。投打もかみ合い開幕5連勝とスタートダッシュに成功した。3、4月の勝率は7割3分1厘の滑り出し。6月はチーム打率3割7厘とノリに乗っていた。7月8日時点で2位で並ぶ中日と巨人に13ゲーム差。まさに独走状態だった。

 7月22日にはマジック46が早くも点灯。それでも、当時の岡田監督は「まだ、分からんて。いつもゆうてるやんか。一戦、一戦よ。その積み重ねやんか。今年はオリンピックもあるしなあ」と慎重な姿勢を崩したことはなかった。

 そして、不安は的中してしまう。8月に入ると藤川球児、矢野輝弘(現燿大)、新井が北京五輪のため離脱。守護神と守備の司令塔の不在で勝ちきれない試合が増えた。さらに新井に至っては、腰痛をおして試合出場を続けた結果、腰椎骨折が判明。戦列復帰は9月下旬となり、戦力ダウンが激しかった。

 その間、巨人は着実に勝利を積み重ねた。オフに左ヒザを手術し出遅れていた小笠原道大が、五輪にも選出されず完全復活。投手陣も山口鉄也、越智大祐、マーク・クルーンの勝利の方程式が組み上がった。9月に入って12連勝。阪神との直接対決では7連勝フィニッシュと、最後は見事なまくり勝ちだった。

 同率首位で迎えた10月8日の決戦(東京ドーム)に阪神が敗れ、巨人にマジック2が点灯。「優勝せんかったら辞めると決めてたよ」。この時点で岡田監督は、あきらめてはいないが腹をくくった。そして、阪神Vの可能性が消滅するとスタッフ、ナインに辞意を伝え、ポストシーズンも指揮を執ることを伝えた。

 5年という岡田監督の在任期間。当時の関係者はこう振り返る。「毎年、優勝に絡んでスリリング。一瞬に感じた。ただ、先を読む感覚に優れている岡田さんについていけず、苦悩する周囲の人間も多く見てきた。今にして思えば、いい潮時だったのかも」。独特の感覚を持つ勝負師は、孤立寸前だったと証言する声もある。

 ちなみにこのシーズン、某スポーツ紙系出版社から「Vやねん! タイガース」と銘打たれたムック本が9月に発売されている。虎党の間で「見切り発車じゃないの! 大丈夫?」と心配された通り、結果はV逸。しかし現在、ネット上ではこの本がプレミア価格で売られている。当時の定価680円に対しなんと8000円の高値。これだから未来は読めない。

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