【元局アナ青池奈津子のメジャー通信】ドジャー・スタジアムに通い始めたころ、いつも重そうなカメラキットと三脚を背負って球場に来る、細身の女性リポーターに気付くのにそう時間はかからなかった。
スパニッシュ・リポーターのクラーディア・ジェストロさん。現場に似つかわしくない、と言って語弊を生みたくはないが、野球場ではあまり見かけないタイプの女性。最初は何者か分からず、あいさつする程度にとどまっていたが、今では大切な取材仲間の一人だ。
クラーディアは取材開始から試合直前までダッグアウトで一人カメラをセットし、一生懸命選手らにマイクを向ける。ここ2、3年の会見では前の席でカメラを片手に手を挙げ、ベテラン記者顔負けの質問をするし、パンデミックでオンライン会見に移行してからは顔を全員に見られるため、なおさら手を挙げにくいのだが、彼女は物おじせずよく質問する。
「そんなことないの。この前も思っていたことと違う質問をしてしまって、終わった後で泣いていたわ。失敗を2、3日拭えなかった」
質問をちゅうちょしたままインタビュー時間終了を迎える私(を始め、きっと多くの記者も同意見)に比べたら、よっぽどかっこいい。
彼女がどんな道を経てこの仕事を始めたのか、興味があった。
「私は、ペルー出身。母が1歳の私を祖母に預け、もっといい生活のためにと渡米したの。そこでキューバ人の男性と結婚して市民権を取り、私が12歳の時にマイアミに呼び寄せてくれた。幼いころは決して裕福ではなかったけど、母の送金でしっかりしたカトリック系の学校に通わせてもらったし、両親がそばにいないこと以外は、祖母が父代わりにもなってくれたから、いい思い出がたくさん。移住してからは、高校でバスケットボールをやったり、大学では放送ジャーナリズムを専攻したり。若いころは歌手になりたかったから、音楽番組などに携われたらって思っていたの」
写真では分からないかもしれないが、クラーディアはスタイルが良く、ジャーナリストになる前は、水着モデルなどでも活躍していた。
「実はね、2008年に大失恋してフロリダ州から出たいって、モデル仲間らを頼ってカリフォルニアに車を走らせたの」
新しい土地、新しい生活。彼女は、モデル業の傍ら、幼いころからファンだったレイカーズ(NBA)の本拠地、ステープルズ・センターの向かいにあったレストランで働き始めた。
「そのレストランのプロモーションでよくラジオ局に行ってたんだけど、ある時、そこで働かしてもらえないかと思って。掃除でも、コーヒー係でも何でもいいって、出演の前に司会者の子に勉強させてもらえないかと話していたらプロデューサーも女性で、明日から来ていいよって。それがシリウスXM局だった」
こうしてクラーディアは、朝8時から地元ロサンゼルスの音楽情報やエンタメを扱うスペイン語ラジオ番組のアシスタント司会の仕事を始めた。インターンとも言えぬ形で無給だったが、学べることがうれしくて仕方なかったという。朝7時に局入りし、朝8時からの放送を終えたらレストランで働く日々。最初はマイクの前で話すことが怖かった彼女も次第に慣れ、番組で人気が出てきたころ、彼女は大胆な提案をする。
「スポーツコーナーを作ったらどうかって。スポーツ全般見るのは大好き。中でもやっぱりレイカーズを取材したいと言ったら、クレデンシャルを申請してくれることになって。初めての取材現場はとにかく緊張した。ステープルズ・センターの真向かいで働きながらアリーナの中で働く夢をみたけど、それがまさかかなうなんて」
2012年、クラーディアはこうしてスポーツジャーナリストとしてのスタートを切った。
=次回につづく=












