エンゼルスのテレビ解説者ホセ・モタ氏 唯一無二バイリンガルキャスターへ転機はマイナー時代

2021年09月27日 14時00分

現在大谷と本塁打王争いをしているゲレロの父(左)と話すモタ氏(本人提供)
現在大谷と本塁打王争いをしているゲレロの父(左)と話すモタ氏(本人提供)

【元局アナ青池奈津子のメジャー通信=エンゼルスのテレビ解説者ホセ・モタ氏(3)】「学位を取れた瞬間、かつてないほどのモチベーションが生まれたんだ。野球でずいぶん機会を待ったけど何も起こらなくて、答えを探していた。ほっとした。これで野球人生が終わっても何かできるって」

 大学2年でドラフトされたために途中になっていたコミュニケーション学の学位を、4年かかってマイナーリーグ在籍中の1994年に取ったホセ・モタさん。ドミニカ共和国出身の選手初の大卒者になった。

「僕が幸運だったのは、幼いころ、父の試合中にドジャースの放送席でビン・スカリーやハイメ・ジャリン(どちらも球界では超有名な実況アナウンサー)に触れられたこと。プロデューサーが『紙をビンに回して』とか『CM明けのカウントダウンやって』などとアシスタントとして9~10歳としてはとてもクールな体験をさせてもらえた」

 偉大なるメジャーリーガーの父の背中を追いかけ、幼いころから球場へ通っていたホセさんが選手から放送人へ転身する道を選んだのが、とても自然なことだとうかがえるエピソードだ。

 しかし、ラテン国出身の元選手の英西バイリンガルキャスターが、大リーグで今も昔もホセさんただ一人、と言えば、その存在の貴重さを想像できるだろうか。
 スペイン語を母国語として話すホセさんも、最初はスペイン語放送に携わるところからキャリアをスタートさせた。

 学位を取った後で、ホセさんはマイナーリーグ在籍中に地元ロサンゼルスの放送局に片っ端から連絡。

「とにかくあちこちにインターンをやらせてほしいって頼み込んだ。(ドジャースでスペイン語放送担当の)ハイメのような先輩にあこがれていたし、父がドミニカ共和国のウインターリーグ中継にかかわるようになり、チームのための放送がやりたいって。球場に行けるし、選手と話せるし、遠征に行けるし、いろんな人に出会える。父に『皆おまえのことを“マニーの息子”として知っているけど、放送をやりたいって知らないんだから、自分から伝えていかなきゃダメだ』と助言されて」

 KNBC(NBCのロサンゼルス支局)で有名なスポーツアンカーであるフレッド・ローガンの目に留まり、マイナーリーグのない冬の間だけ、インターンをさせてもらったが、その間も機会があれば履歴書を多方面に出し続けた。

 種をまき続けた効果は、マイナーリーグを辞めた2か月後、97年の5月に表れる。

「父のところにFOXから電話があったんだ。『息子さんを探している。キャスター希望らしいじゃないか』って。誰かが僕の出した履歴書を覚えていて、何か月もたっていたのに連絡をくれたんだ」

 土曜日のみのスペイン語副音声の実況中継の仕事だったが、二つ返事で引き受けた。「メディアの一員として取材許可をもらい、メディアガイドをもらい、ワールドシリーズまで全米のチームの中継を5年間、本当に楽しかった。NFL中継もやったんだよ。稼ぎもマイナーリーグ時代に比べたら格段によくてさ!」

 元選手以上に選手の気持ちが分かる放送人はいない。そこに目をつけたエンゼルスは2002年、ホセさんにチームキャスターとしての仕事をオファーする。 

☆ホセ・モタ ドミニカ共和国出身。56歳。エンゼルスの実況アナウンサー兼解説者(スペイン語と英語)。1985年、ホワイトソックスにドラフト2位指名されプロ入り。91年にパドレスで二塁手としてメジャーデビュー。メジャーでの出場は19試合にとどまる。引退後、97年からFOX局でスペイン語の実況中継をするようになり、2002年からエンゼルスのブロードキャストメンバーに。ラテン系生まれの元選手の放送人は大リーグ唯一だ。

☆マニー・モタ ドミニカ共和国出身。83歳。1962年にジャイアンツの外野手としてメジャーデビュー。82年にドジャースでプレーヤー・コーチとなり、82年に引退。メジャー通算1536試合に出場し、打率3割4厘、1149安打、31本塁打、438打点の成績を残す。長男・ホセと次男・アンディは元大リーガー。六男・トニーもドジャース傘下のマイナーリーグでプレーし、コーチになっている。 

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