浅井嘉浩(ウルティモ・ドラゴン)の生きざまに魅了されたTAJIRIは、福岡・博多スターレーンでその試合を見た翌日、早くも動き始めた。「翌日からもうバイトして、お金をため始めましたからね。浅井さんに憧れて」。大学のアルバイト求人掲示板へ向かい、少しでも時給の高い仕事を探した。メキシコまでの往復航空券は約15万円、6週間の滞在費は約20万円。必要な資金を35万円と見積もった。「まず必要なお金を計算したんです。全部で35万円。それをためようと」。憧れを抱いた翌日には、メキシコへ渡るための具体的な準備を始めていた。

 選んだのは、当時としては破格だった時給1000円の仕事だった。勤務先はくしくも、浅井の試合を見た博多スターレーンの向かいにあった金融会社。電話加入権を担保に最大50万円を融資する会社で、返済を促す電話をかけるのが仕事だった。「当時の博多で時給1000円は破格だったんですよ。だから一番時給の高いところを選びました」。大学の授業を終えると博多へ向かい、午後9時まで働いた。仕送りはほとんどなく、生活を支えていたのは月4万円の奨学金。時折、日雇いの仕事もした。「500円でも1000円でも、予定外のお金が入ったら貯金していましたね」。少額でもメキシコ行きの資金へ回した。

 金をためる一方、体づくりにも取り組んだ。仕事を終えると福岡市・赤坂のアメリカンジムへ向かい、トレーニングに励んだ。「体を大きくするために、3玉100円のうどんとか、卵とか、安くなったバナナとかを食べていました」。当時68キロだった体重は75キロまで増え、ベンチプレスでは120キロを上げられるまでになった。大学に通い、アルバイトを終えるとジムへ向かう。限られた金で生活しながら、メキシコへ渡るための体もつくっていった。

 さらにスペイン語も勉強した。NHKラジオのスペイン語講座を毎朝録音し、ジムから帰った後、その日の内容を覚えるまで繰り返した。「毎朝録音して、夜に帰ってから、その日の内容を全部覚えるまで勉強していました」。大学では、メキシコへ行くことを話したチリ人の教師が、ほぼマンツーマンで教えてくれた。「行く頃には、たどたどしくても意思疎通できるぐらいにはなっていましたね」。金をため、体を大きくし、スペイン語を覚える。博多スターレーンで浅井を見た翌日から、大学生のTAJIRIは海を渡るため、着実に準備を重ねていった。