東日本大震災から15年が経過した。今年の3・11も被災した東北各地で追悼の式典が行われる。15年という時間は赤ん坊が高校入学するだけの時間だ。大きな変化があるのが当たり前だが、被災地で何か変わったことはあるのか。

「変化ですか…訪れるたびに建物が減っていっていることですかね」

 こう話すのは写真家の郡山総一郎氏だ。郡山氏は2011年3月11日の震災発生時に被災地入り。それ以来、福島県浪江町の元酪農家を追い続けている。

 浪江町は福島県の海側、浜通りにある地域。海沿いから山間部まであり、漁業や酪農に携わる住民が多かった。DASH村があったところとして有名だろう。しかし、震災が起き、海に近い地域が津波の被害に遭っただけでなく、東京電力福島第1原子力発電所の事故の影響で住民は避難を強いられた。原発から最短距離で約4キロと近かったのだ。

「今も帰宅困難区域があって、そこにある建物は持ち主の許可があれば更地にされています。知り合いの酪農家の自宅も今は壊されてありません」。更地に新しく建物が建つというのか。「いや、現地で聞く話では汚染土を置くのではないかとウワサされています」

 毎年、福島入りしている郡山氏からすると15年が経過するというのに景色は代わり映えしないという。

「住民を呼び戻そうとしている自治体もありますが、なかなか難しい」

 15年の間に新しい土地で新しい生活を営んでいる被災者も多い。

 一方で明るい話もあるという。「浪江町に牛2000頭規模の酪農場が4月から稼働します。浪江町には震災の影響で廃業した酪農家や、高齢化で辞めた人もいる。そうして足りなくなった牛乳を補う狙いがあります。また、最先端の施設ということで、人が集まれば周辺の活性化も期待できます」

 正式名称はシャインコーストファームで、浪江町の棚塩地区にできる。後継者育成だけでなく技術開発も行う施設となる。

「今年は15年という区切りのいい年だから3・11を扱うメディアも多い。だけど昨年は少なかったことを考えると来年の報道量は減りそうです」と郡山氏。変化を見守りたい。