大相撲、プロレス、総合格闘技で活躍し〝借金王〟の愛称で親しまれた安田忠夫さんが10日までに死去したことが分かった。62歳だった。

 関係者の話を総合すると、安田さんは都内の自宅で亡くなっている姿が発見された。亡くなる直前まで警備会社で働いていたという。

 安田さんは中学校3年生の時に九重部屋に勧誘され、1979年3月場所で初土俵。富士の森、孝乃富士の四股名で活躍し、1990年7月場所に小結に昇進した。

2001年12月31日の「INOKI-BOM-BA-YE-2001」でジェロム・レ・バンナを破った
2001年12月31日の「INOKI-BOM-BA-YE-2001」でジェロム・レ・バンナを破った

 廃業後の1993年6月には新日本プロレスに入門し、翌年2月に日本武道館大会での馳浩戦でデビューした。2001年にはアントニオ猪木さんに見出されて、総合格闘技でその才能が開花。同年大みそかの「INOKI BOM―BA―YE 2001」のメインイベントでK―1ファイターのジェロム・レ・バンナから大金星をあげた試合はファンに大きな感動を与えた。

 02年2月にはIWGPヘビー級王座も獲得したが、その後は素行不良などの影響で活躍の場が減少。05年1月に新日本プロレスを解雇されてからはIWAジャパン、ZERO1―MAX、ハッスル、IGFなど団体を渡り歩き、11年2月に引退した。

 現役時代の安田さんはギャンブル好きとして知られ、家族とも絶縁し「借金王」の異名もとった。07年10月5日には都内の自宅で倒れているところを田山正雄レフェリーに発見され、救急車で病院に運ばれていたことが判明。練炭を使って自殺を図ったと見られていたが、後に本人が自殺未遂を否定していたこともあった。

 引退後はタレント業も行っていたが、その後は仕事を転々としていた。22年12月には師匠の猪木さんの追悼興行の記者会見に登場し、久しぶりに公の場に姿を見せていた。