【第71代横綱 鶴竜力三郎の軌跡 一生懸命・音羽山親方自伝(23)】2023年6月3日、東京・両国国技館で引退相撲に臨みました。21年3月に現役を引退した時には、横綱として十分にやり切ったという思いがあった。だから、この日の断髪式でまげに別れを告げることに対して「寂しい」という感情はありませんでした。初代若乃花さん(元横綱)が生前、テレビのインタビューでこんなことを言っていたんですね。
「何も寂しくない。引退相撲でまげを切って涙を流すのは、未練があるからだ。涙が出るぐらい悔いが残るなら、もっと相撲を取ればいい。やるだけやって、自分の力が尽きて引退するのだから悔いはない」。その言葉が自分の思いにも重なっていたし、断髪式が進行する間は晴れやかな気持ちでした。
でも、思いがけず涙が出てきてしまった瞬間がある。それは大銀杏(おおいちょう)にハサミを入れる順番が父に回ってきた時のことでした。大相撲の力士になることは、自分だけでなく父の夢でもあった。横綱に上がる前ぐらいまでは、私のために対戦相手の取り口や癖などを研究した詳細な資料を作って、いつも場所前に送ってきてくれていたんですね。
何より、資料の文面から父の気持ちが伝わってきたし、自分の中でも励みになっていた。その意味では、親子二人三脚で歩んできた相撲人生でもあったんですね。父がハサミを入れて声をかけてくれた時には、それまでの思いが頭の中を駆け巡り、こみ上げてくるものをこらえることができませんでした。
断髪式前の最後の相撲では国技館の土俵で長男と相撲を取り、断髪後には長女が手紙を読んでくれました。引退を決断した当時、まだ5歳だった長女に「相撲を辞めちゃうんだよ」と伝えました。娘からは「辞めて何になるの?」と聞かれたので「相撲を教える先生になる」と答えると「いいじゃん」と言ってくれた。ただ、実際にちょんまげを切るとなったら「ええっ!?」と驚いていました。まげはずっとついているものだと思っていたんですね(笑い)。
陸奥部屋へ移籍した後の20年4月には第3子の次女(※)も生まれた。現役時代の最後にケガで苦しんでいた時も、妻や子供たちの存在が心の支えになりました。本当に感謝しています。
断髪式を終えると「ああ、これでやっと親方になったんだな」という気持ちになりました。コロナ禍の影響もあって、引退から断髪式までに2年あまりがたっていた。正直、早く断髪がしたかったし、待っている間は長く感じましたね。まげがついた状態で「親方」と呼ばれても、いまひとつピンとこないですから(苦笑い)。ここから私は、本格的に指導者としての道を歩んでいくことになりました。
※ エネルレンさん













