〝黒のカリスマ〟蝶野正洋(61)が、24日に米フロリダの自宅で心臓発作により死去した〝超人〟ことハルク・ホーガンさん(本名テリー・ボレア)を追悼した。

 蝶野は1996年に当時新日本プロレスと提携関係にあったWCWに参戦し、ホーガンさん率いる「nWo」に加入。「nWo」の黒いTシャツは世界中で大ヒットし、蝶野が日本支部として結成した「nWoジャパン」も社会現象を巻き起こした。

 世界的人気を誇った〝超人〟の死に蝶野は「ビックリですよね。元気そうなイメージしかなかったので…。71歳は若いもんね…」と驚きの表情。「入門する前から(アントニオ)猪木さんとのIWGP戦とか見ていたし、別格のオーラがありましたよね」と振り返った。

「nWo」が一世を風靡した90年代の米マットは、WCWとWWF(現WWE)が2大勢力で、プロレスが世界的ネットワークビジネスへとなっていく過渡期だった。WWFからライバル団体のWCWに移籍したホーガンさんを「存在が超越していたし、世界的な知名度はプロレス史上でナンバー1だと思う。ホーガンとアンドレ(・ザ・ジャイアント)は他のレスラーとは名前が違いますよね。超えるレスラーは出てこないんじゃないかな」と評した。

 そんなホーガンさんは、レスラーとして決して譲れないプライドを持っていたという。「プロモーターとレスラーって、もともとワンパックじゃなくライバル関係なんだよね。日本は日本プロレスの時代から会社組織になってたけど、米国では80年代くらいから大きな変動が起きた。そこで最後まで『テレビ局やプロモーターに使われてたまるか』って戦っていたのがnWoで、昔ながらの〝レスラー魂〟みたいなものを見せていたのがホーガンだったと思いますよ。『俺には俺の生き方がある』ってやってて、かっこいい兄貴分でしたよね」

 2003年10月には新日本東京ドーム大会でシングルマッチで対戦した。当時のホーガンさんはWWEを離脱しており、新日本現場責任者だった蝶野はフロリダの自宅まで交渉に行った。「奥さんのリンダさんがお菓子を持ってきてくれて、ホーガンは『いつもありがとう、アイラブユー、リンダ』なんて言っていたのに、出ていった瞬間に俺にウインクして『(交渉の)邪魔だよな』みたいな感じで。リングから降りたホーガンってフランクで優しい人でしたよ」と笑いつつも「でもビジネスの顔になると全然違う。駆け引きもしてくるし、交渉の仕方とかトップビジネスマンだったよね。セルフプロデュースもレベルが違いましたよ」と振り返った。

アックスボンバーを被弾した蝶野正洋
アックスボンバーを被弾した蝶野正洋

 蝶野にとってホーガンさんはプロレス史上最大の功労者であり、永遠のヒーロー。偉大な超人が残した功績は、決して色あせることはない。