「超人」の最期とは――。世界的な人気を誇るプロレスラーのハルク・ホーガンさん(本名テリー・ボレア)が24日、米フロリダ州の自宅で死去。71歳だった。ホーガンさんの40年来の友人で、日本で最も超人と親しかった佐藤義一氏が取材に応じ、思い出を振り返った。
プロレスファンだった佐藤氏は中学2年の1982年に、タイツに「一番」の文字が入っていた頃のホーガンさんの宿泊先だった京王プラザホテルで「こいつ、面白いヤツだな」と声をかけられた。そこから交流が始まり、来日した際には食事をともにし、フロリダの自宅にも呼ばれるほど親交が深まった。〝日本で最もハルク・ホーガンを知る男〟と言っていい存在だ。
実際に今月、ホーガンさんと最後の対面を果たしていた。首と背中の問題で入院していたホーガンさんから6月下旬に連絡があり「すぐに来てくれ」とフロリダ州クリアウォーターの自宅に招かれた。「電話で話した声が違っていました。『サトウ…サトウ…』と力が入らないというか。喉の声帯が悪いのか、途中で話せない感じになりました。その後に息子のニックと話し、またホーガンさんに替わったら『フロリダ、いつ来る?』と言われたんで『夏の終わりくらいかな』と答えたんです。そうしたら『すぐに来てくれ』と。その声を聞いたら『ヤバいな』と思い、すぐに飛行機を手配しました」
ホーガンさんが自宅に戻った今月5日に、佐藤氏はクリアウォーターの邸宅を尋ねた。「ホーガンさんではない、ホーガンさんがいたんです。コロナ禍があって6年ぶりに会ったんだけど、これは写真は撮っちゃいけないなと思いましたね。ホーガンさんのイメージもあるし。歩くのも大変な状態で、歩行器を使っていて、一歩一歩が大変そうでした。身長もすごく縮んでいたんですよ」と、闘病中の変貌ぶりを明かした。
それでもホーガンさんは〝超人〟のままだった。「自分で何かをやろうとするんです。そういう状態なら、全部人に任せるじゃないですか。でも『もういいや』になっていない。そこはすごいなと思ったし、大丈夫だろうと」。翌日にはWCW時代からの盟友エリック・ビショフ氏が見舞いに現れたというが「会話は少なかった」という。
そこから20日足らずで、超人は旅立った。「ホーガンさんは僕のお父さんです。本物の、リアルスーパースターです。ホーガンさんのことを悪く言う人はジェラシーでしかない。悪く言う人もたくさんいるけど、プロレスのギャランティー、ゲート収入、Tシャツの売り上げとか全部上げてくれた人が、ホーガンさんなんです。アリーナ級の会場から、ドーム級にしたのはホーガンさんの功績。ホーガンさんを認めない限り、ホーガンさんを超せるわけがない」と言葉に力を込め、偉大な友人を悼んだ。












