ミスターが出した〝結論〟とは――。J1東京V元社長で日本テレビ時代に多くのスポーツ中継にかかわった坂田信久氏(84)は、3日に亡くなった巨人終身名誉監督・長嶋茂雄さん(享年89)を五輪など世界大会のコメンテーターなどに起用した。その中で1992年バルセロナ五輪の期間中に、長嶋さんが巨人監督復帰オファーを受けた当時のエピソードを振り返った。

 長嶋さんは1980年に第1次政権で巨人監督を退任後、日本テレビなどで世界的なスポーツイベントでリポーターやコメンテーターを務めた。坂田氏は長嶋さんが世界の舞台で感じたものをお茶の間に届けたいと起用を決めたが「当初は出たくないとおっしゃった」。しかし前出の理由を説明すると、出演を快諾してくれたという。

 84年のロサンゼルス五輪から3大会、アメフトのスーパーボウルなどにもゲストとしてかかわる中、92年バルセロナ五輪の出来事が印象的だったという。坂田氏は「五輪取材中に一軒家を借り、長嶋さんも含めて共同生活をしていた。そこに日本から電話がかかってきて『巨人の監督になってほしい』と言われたそうだ」と〝真夏の祭典〟中のスペインで復帰オファーを受けたという。

 当時はプロサッカーのJリーグが開幕を93年に控え、大きな注目を集めていた。新たなスポーツ文化の誕生を前に、野球界も危機感を募らせていた時期。もちろん、長嶋さんも勢いのあるサッカーの台頭を気にしていた中で監督オファーが届いた。長嶋さんは坂田氏らに「どうするかは日本に帰ってからゆっくり考えるよ」と伝えたそうだ。

 ただ坂田氏によると、長嶋さんはすでに現場復帰の態勢を整えていたという。スタッフと共同生活をしていた借家の冷蔵庫には、長嶋さん専用のローヤルゼリーの小瓶がずらりと並ぶなど健康を気遣っていた。また体力づくりのため、五輪取材という多忙なスケジュールをこなしながらも毎朝、自宅周辺のランニングを欠かしていなかった。

 坂田氏は「深夜まで日本への電送作業などがあって朝はゆっくりになるんだけど、いつも長嶋さんは起きている。ランニングしてシャワーも浴びて…。いつもさわやかに『おはよう』と声をかけてくれて、とても恐縮していた」と振り返る。そして「私たちには言わなかったけど、その姿から巨人の監督を受ける決心はしていた気がする」と明かした。

 バルセロナ五輪後の92年10月、長嶋さんが巨人監督に復帰することが正式発表。坂田氏は「印象的なこととして、よく覚えている。ちなみに私の誕生日は2月20日。長嶋さんと同じ」とうれしそうに話し、故人とのかかわりを懐かしんでいた。