【昭和~平成スター列伝】新日本プロレス「NEW JAPAN CUP」は、20日長岡の決勝戦でデビッド・フィンレーが海野翔太を撃破し初優勝を果たした。一方、全日本プロレス、春の祭典「チャンピオン・カーニバル」は4月9日後楽園ホールで開幕する。いずれも「春の本場所」として定着しているが、原型は言うまでもなく1959年に力道山が創設した日本プロレス「ワールド大リーグ戦」である。
空前の大ブームを呼んだ同リーグ戦は、力道山が亡くなる63年まで無敵の5連覇を達成。没後の翌64年、力道山以外で初めてリーグ戦を制覇したのが、174センチ114キロの小柄な体で新エースに君臨した“怪力”豊登だった。
64年5月12日、第6回ワールドリーグ戦優勝戦(東京都体育館=8分3R1本勝負)で“荒法師”ジン・キニスキーを撃破して初優勝。当時の東京スポーツは1面と3面で大々的に力道山亡き後、初のリーグ戦を大々的に報じている。
「第1ラウンド、ガッキと首を取り合った両雄、キニスキーがボディーシザースを決めれば、豊登は足首固めを狙って逆襲。キニスキーはついに胃袋破りのニースタンプ。豊登はフルネルソンでガッチリ太い腕の“鉄のカンヌキ”で揺さぶる。脱出したキニスキーがパンチの連打に出ると、ここで1回終了のゴング。2ラウンド、キニスキーはショルダークローから反則チョークのラッシュ。荒れ狂ったキニスキーはニードロップからヘッドシザースの猛攻だ。場外へ落ちる両者。豊登が逆襲のヒジ打ちを放ったところで終了のゴングが鳴った。決勝ラウンド、豊登はいきなりヘッドロック、キニスキーもボディーシザースからオクラホマヘイライド(揺りイス固め)の新殺法を見せ、立ち上がるとすさまじいニーパッド。場外へ豊登を落とすとキニスキーは宙を飛んだ。必殺ズーミングニードロップ(鋭角ヒザ落とし)だ。危ない!という声が上がった瞬間、豊登は一転。キニスキーは右ヒザを床に打ちつけてのたうち回った。豊登は最後の力をふりしぼってリングにはい上がった。キニスキーは再度ダウン。3回2分45秒、カウントアウトとなった。豊登は苦闘の中で第6回Wリーグの優勝を飾った」(抜粋)
この優勝でエースとなった豊登は翌年のワールドリーグ戦も連覇を果たす。しかし経営者としてはずさんな点が多く、66年1月には社長を辞任して3月には除名処分となった。“豊登時代”はわずか2年で終わり、リーグ戦は66年にジャイアント馬場が初優勝を果たすと、日本プロレスは馬場の時代へと突入する。 (敬称略)













