2月28日に亡くなったプロレスラーで東京・文京区議会議員の西村修さん(享年53)の葬儀・告別式が8日、文京区の護国寺でしめやかに営まれた。

 西村さんは2024年に体調不良を訴え、検査の結果食道がんが発覚。左側上半身全体に転移しており、ステージ4と診断された。リングに上がりながら闘病生活を続けていたが、出場が予定されていた1月の『ジャイアント馬場没25年追善大会』(東京・後楽園ホール)は欠場。2月28日の朝に容体が急変し帰らぬ人となった。

 告別式では新日本プロレス時代の先輩で、全日本プロレス時代は社長として西村さんを2007年10月に招き入れた武藤敬司が弔辞を捧げた。新日本時代には付け人も務めた西村さんとの思い出を振り返りつつ「特に記憶にあるのは、当時俺が新車で買った赤いフェアレディZに『ワックスをかけてほしい』と頼んだ時のことです。どうやら研磨剤入りのワックスをかけたらしく。泡が真っ赤になり、こすった通りの傷がついてました。それを見た俺は西村を責めることもできず…泣きました」と懐かしんだ。

 さらに武藤は「西村が(1998年に)最初にがんを患ったと国際電話で相談された時、俺自身もショックでかける言葉に苦慮しましたが、『お前はプロレスラーだ。戦え、プロレスを続けろ。プロレスは人生そのものだ』と言ったら、お前は泣きながら返事をしていましたね」とエピソードを明かしつつ「文京区の区議になった西村を俺は陰ながら応援してました。本当はプロレスにしても政治家にしても、やりたいことはまだまだいっぱいあったはずです」と故人を偲んだ。

 ジャイアント馬場追善興行に来場した際には西村さんの妻と子どもと対面した。「ここに西村の遺伝子がいるんだと思いました。息子さんにはこれから大いに羽ばたいていってほしいです。人になびかず、自分の意志を曲げずに貫いた西村修の人生とともに」と締めくくった。

 告別式後に報道陣の取材に応じた武藤は西村さんの政界進出を振り返りつつ「アイツの政治のきっかけ俺が作ったんだよ。俺が本当は国民新党で出てくれって言われて、俺は嫌だから小島(聡)に振ったら、小島も嫌だって。だけど西村はそこから政治家に興味を持って」と当時の事情を告白。「プロレスにしても政治にしても、もっとやりたいこといっぱいあったはずだよ」と、故人の無念を代弁していた。