節目となる第100回を迎える2024年の東京箱根間往復大学駅伝(箱根駅伝)。タスキに込められた物語は国民に愛され、多くの視聴者の心を動かしてきた。1987年(第63回)から大会を放送している日本テレビの元スポーツ局次長・坂田信久氏(82)が〝お正月の風物詩〟として定着した中継の舞台裏を語った。
【箱根路がお茶の間に届くまで(2)】1980年代前半、日本テレビは視聴率競争でフジテレビ、TBSに次ぐ3番手。局内には重い空気が漂っていた。起爆剤として箱根駅伝の放送を熱望していた坂田氏も「ウカウカしてはいられない」と何度も上層部への説得を行っていた結果、86年6月の役員局長会でようやくゴーサインが出た。
79年の55回大会から一部を生中継していた東京12チャンネル(テレビ東京)も、日本テレビの中継を快く認めてくれたという。かつて坂田氏は、箱根駅伝を共催する読売新聞社スポーツ事業部の湯浅武部長に中継の「お願い」をしたことが奏功し、約束通りに〝バトンタッチ〟を認めてもらった。坂田氏はスポーツ局長とともにテレビ東京の白石剛達スポーツ局長に感謝の言葉を伝えると「巨人戦中継の1試合もほしい気持ちだが…。日本テレビの箱根駅伝を楽しみにしているよ」と言われたという。
ただ、日本テレビは1972年からお正月に開催されている全国高校サッカー選手権大会を系列各社の協力を得て中継しているため「駅伝も」となると、制作能力の不足が心配された。他にも「関東ローカルの大学駅伝で視聴率が取れるわけない」「沿道での事故、放送事故が起きたら、会社の経営にダメージを与える」など、懐疑的な声が数多く上がっていた。
もちろん対策は考えていた。坂田氏は電波が途切れた際に備えて第1回大会を走った選手、戦前最後の大会を経験した選手、戦後の大会復活に尽力した選手のエピソードをまとめた「今昔物語」を準備。一連の過程の中で「中継も大事だが、そのエピソードが中継の価値を高めることに気がついた」。デメリットの解消を図る中で〝歴史〟を伝える意義を学んだ。
また、関東の大会を全国の視聴者にも興味を持ってもらう工夫も怠らなかった。ある大会で選手の出身地を調べたところ、47都道府県の中で該当者がいなかったのはわずか2県のみ。各選手の出身地を紹介することで系列局を説得。浮かび上がった課題を一つずつ丁寧に潰していった。












