新日本プロレスやUWFで活躍したプロレスラーの木戸修さんが、11日に死去していたことが14日にわかった。73歳だった。〝プロレスの神様〟カール・ゴッチを師匠と仰ぎ、1972年にアントニオ猪木さんが創設した新日本に旗揚げメンバーとして参加した。誰もが「真面目」「寡黙」と口をそろえる〝いぶし銀〟の人柄と功績を、格闘王・前田日明氏(64)が明かす――。

 関係者によれば数年前からがんを患っていた木戸さんは、11日に容体が急変。同日午後10時52分、搬送先の横須賀市内の病院で息を引き取った。

 1968年に日本プロレスに入門し、翌年デビュー。藤波辰巳(辰爾)とともに日プロを退団し、72年3月に猪木さんが創設した新日本プロレスに旗揚げメンバーとして参加した。師匠であるゴッチさん直伝のグラウンド技術は高い評価を得た。

 84年9月からUWFに参戦。前田氏、スーパータイガー(佐山聡)、藤原喜明らと激闘を繰り広げ、85年に新日本に復帰。86年8月には、前田氏とのコンビでIWGPタッグ王座を奪取した。ワキ固め、キドクラッチを得意技に、地味ながら高度なレスリングスタイルで存在感を発揮した。

1986年8月29日、前田日明と木戸修組はIWGPタッグ王座を初防衛。後列左から、山崎一夫、高田延彦、藤原喜明
1986年8月29日、前田日明と木戸修組はIWGPタッグ王座を初防衛。後列左から、山崎一夫、高田延彦、藤原喜明

 新日本とUWFで木戸さんと苦楽をともにした前田氏は、本紙の取材に応じ「ビックリしたね。選手の中でも一番健康に気を使ってたイメージ。一事が万事、控えめな人だったね。出しゃばらないしさ。すごく寡黙で喜怒哀楽を表さない。自分のやるべきことを黙々とやる、本当の意味で昔かたぎの職人みたいだったね」と故人をしのんだ。

 前田氏が新日本に入門した77年の夏、練習後に木戸さんから呼ばれたことがあった。「『背中にニベア塗ってくれ』って言われて、その時初めてプロレスラーの体を触ったんですよ。木戸さんの背中の筋肉の厚くて硬いこと。背中に一枚コンクリートの板が入ってるみたいな感じだったね」と、当時の衝撃は今も忘れられないという。

 UWFでも木戸さんの加入は大きかった。先輩である木戸さんに意見を求めた時も、必ず一歩引いて前田氏を立ててくれたという。「木戸さんがいることで心強かった部分はあるよね。自分たちがやってることの正しさというか。それまではどちらかと言ったら、まがいもん扱いみたいな感じだったけど『あの木戸修もUWFに行ったんだ』って(見られ方の変化が)あったんじゃないかな。ゴッチさんもずっと最初のころから『木戸は呼ばないのか』って、ことあるごとに言ってたからね」

 木戸さんはゴッチさんからは「息子」と呼ばれ、猪木さんからも厚い信頼を寄せられていた。前田氏は「ゴッチさんも亡くなって、去年猪木さんも亡くなって…。2人に呼ばれたんだね。そうとしか思えないよ。あの木戸さんががんで死ぬなんて。今は3人でいろいろなこと話してると思うよ」と天を見上げた。

 娘の木戸愛は人気プロゴルファーで、2012年の国内ツアー「サマンサタバサレディース」で優勝するなど活躍している。前田氏は「いろんなことをやってあげたんだろうね。でもそういうのを一切苦にせずやってる姿は目に浮かぶよね。さすがだな、プロレス界でそういうことができるのは木戸さんしかいないなって思ったよね」と父親としての木戸さんにも敬意を示した。

「プロレス界では本当に、表向きの派手な部分は藤波さんが引っ張って、木戸さんが縁の下の力持ちだったからね。その2人がいたから新日本もUWFも回ったと思うね。長い間お疲れさまでした」と追悼した前田氏。燃える闘魂もプロレスの神様も格闘王も、業界の誰もが認める男が、いぶし銀と呼ばれる名レスラーだった。