【プロレス蔵出し写真館】プロレス史上、類を見ない大ハプニングが勃発。関係者、ファンは困惑した。

 事件が起こったのは、今から30年前の1993年(平成5年)11月26日、神奈川・川崎市体育館で行われたW☆INGプロモーションの「MOST DENGEROUSTAG WARS’93」の公式リーグ戦でのこと。

 怪奇派マスクマン同士のブギーマン&レザーフェイス組VSフレディ・クルーガー&クリプト・キーパー組が対戦し、マスクマン2人が自らマスクを脱いで素顔をさらし、他団体への参戦を宣言したのだ。

自らマスクを脱いで素顔をさらし引き揚げるダグ(クルーガー)(左)とエディ(ブギーマン)のギルバート兄弟(1993年11月、川崎市)
自らマスクを脱いで素顔をさらし引き揚げるダグ(クルーガー)(左)とエディ(ブギーマン)のギルバート兄弟(1993年11月、川崎市)

 試合展開も前代未聞だった。4人は試合が始まる前からリング内外で乱闘を繰り広げた。ゴングが鳴って試合が開始されるとクルーガーがブギーマンに突っかかり、ブギーマンがかわして回転エビ固めを決めフォール。3カウントが入り、たった13秒で試合が終わってしまった。

 観客はア然。すると、フォールされたクルーガーは自らマスクを脱いで素顔になると、マイクを握りブギーマンを指さし観客にアピール。

「オレたちは兄弟だ。W☆INGはクソ団体。(ジャイアント)馬場の全日本(プロレス)へ行く」と宣言した。すると、ブギーマンもマスクを脱ぎ捨てた。素顔になった2人の正体はブギーマンが兄エディ、クルーガーは弟ダグのギルバート兄弟だった。

 2人は「フ○ッキン!イバラギ(茨城清志代表)!」と叫び、控室へ戻って(写真)荷物をまとめると、さっさと会場を後にした。

 ファンはしばらくして不満の声を上げた。対戦相手同士がリング上で素顔をさらし、しかも、他団体への出場をアピールするという異例の行為に、茨城代表は「なにを考えているのかわからない」と頭を抱えた。

 ビクター・キニョネスは、「自分が時差ボケ解消のために持ち歩いている強い睡眠薬を、ダグが盗み飲みしてラリってしまい、あのような言動をした」と釈明した。

 ところで、ギルバート兄弟の兄エディは、82年にWWF(現WWE)のリングにも上がり、初代タイガーマスク(佐山サトル)と何度も対戦。11月25日には米ペンシルベニア州フィラデルフィアでタイガーマスクが保持していたWWFジュニアヘビー級王座にも挑戦し、善戦している。W☆ING参戦時は米テネシー地区のUSWAで選手兼ブッカーを務めていた。

 後に茨城代表は、「ダグがマッチメークの不満を口にしていた。ダグは自身がブッキングしたムーンドッグス(スパイク&スプラット)の対戦カードの変更を試合当日に要求してきた。それを断ると『それなら、どんなことが起きるかわからないぞ!』と大声でわめき散らした」。それで事件が引き起こされたと明かしている。

 W☆INGといえば〝極悪大王〟ミスター・ポーゴや〝ミスター・デンジャー〟松永光弘らの過激なデスマッチがウケて、コアなマニアの支持を得ていた。一方で、茨城代表の借金や会場使用料の踏み倒し、社員の給料や選手へのギャラ未払い等、悪評が絶えなかった。

 93年にエースのポーゴがFMWへ移籍。後を追うように松永も追随した。94年にはフリー参戦していた邪道&外道もWARに戦場を移した。3月13日にアメニティトライアル多摩21大会は開催されたものの、その後は「茨城代表とも連絡が取れないし、W☆INGは自然消滅したと思ってます」(中牧昭二)という有り様だった。

 のちに復活、休止を繰り返すが相も変わらずトラブルは多発した。

 ポーゴとともにW☆INGを支えた松永は現在、経営するステーキハウス「ミスターデンジャー立花本店」で店長としてステーキを焼いている。W☆ING出身にもかかわらず、成功を収めた稀なレスラーだろう。

W☆INGの思いを語る松永(2023年11月、墨田区東あずまの「ミスターデンジャー本店」)
W☆INGの思いを語る松永(2023年11月、墨田区東あずまの「ミスターデンジャー本店」)

 松永が思いを語ってくれた。

――W☆INGに対して今、思うことは

松永 もちろん、プロレスやってた中で一番充実していたときですね。バルコニーダイブ(92年2月9日、後楽園ホールの2階バルコニー席からヘッドハンターズに6メートルの高さからプランチャーを敢行)から、ポーゴさんとのスクランブルバンクハウス(代表的なものは92年3月8日、ポーゴの火炎放射で髪の毛に引火)、レザーフェイスとの5寸釘(デスマッチ。93年5月5日、小田原駅前旧市営球場)。思い出深いですね。名前を売ったバルコニーダイブが一番の集大成ですね。

――W☆INGからお金は出なかったが

松永 そうですね。でもその後、FMWで稼ぐので(9月1日のFMW札幌大会に乱入)。名前売って大仁田(厚)さんが引き抜いてくれたんで。

――差し支えなければ、いくらぐらい

松永 契約金100万と、週3千ドルの外国人契約です。それと12月の晴海(8日、大仁田と対戦)の電流爆破まで頑張ったら、ヒザの手術をさせてくれるというオプションがありました。あのとき、ヒザを治してなければ、今もうグジャグジャだった。ヒザが本当にひどかった。そういう条件だったんですよ。3か月頑張ったらヒザの手術って。先日、テレビ番組で大仁田さんに会ってそれを言ったら、覚えてなかったですけど。

 松永は遠い目をしてそう回顧した。 

 ギルバート兄弟の一件はファンを置き去りにした、まさにW☆INGを象徴する事件。結局、2人の全日プロへの参戦はかなわなかった(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る