【プロレス蔵出し写真館】蝶野正洋がヒロ斎藤に尋ねた。「ヒロさんが嫌いなのは渕(正信)さんと越中(詩郎)さんでしたよね?」
ヒロ「…コレ流れるんでしょ?」
蝶野「いや、流れてないですよコレ」
ヒロ「誰でも見られるんですよね?」
蝶野「もう終わってますよコレは」
ヒロ「よかった。大っ嫌いですよ! 越中は大っ嫌いですよ!」
これは、蝶野のユーチューブチャンネルでのやり取り。誘導尋問に引っかかる斎藤に、見ていて思わず吹きだした。
狼群団、nWo、TEAM 2000でユニットを組んだ蝶野との良好な関係がうかがえるまとめ動画は、朴訥なしゃべり、絶妙な間がほのぼのとした雰囲気を醸し出し、斎藤の人となりがよくわかる仕上がりとなっている。
さて、斎藤は今から42年前の1981年(昭和56年)7月、島流し同然にメキシコ遠征に出された。その後、カナダ・カルガリーを経て、3年後の84年9月24日に帰国。
上田馬之助の許可を得て、〝新金狼〟として髪を金髪に染め上げた斎藤は10月5日、埼玉・越谷市体育館での開幕戦に現れた。インパクトは十分、そのスタイルが定着し始めると、どこからともなく〝そっくり〟と声が上がったのが「たけし軍団」のグレート義太夫だ。
義太夫とは87年(昭和62年)9月19日、後楽園ホールで2ショットも実現した。2人はにこやかな表情で握手をかわし、写真に納まった(写真)。
さらにもう一人似ていると話題だったのは、「オレたちひょうきん族」の「ひょうきん懺悔室」で神様役をやっていたお笑いタレントのブッチー武者。懺悔するタレントに〇×を判定し、×で水がかけられるという人気コーナー。
元新日の新倉史祐は、「僕は87年にカルガリーから帰国したんですが、偶然、斎藤さんに会ったことがありました。うれしくて、Xポーズを向けたところ、ものすごくイヤーな顔をしてましたね」と明かす。
実は、斎藤はその2人に似ていると言われるのを嫌がっていたようだ。
ところで、84年に帰国した斎藤は不遇を経験する。越谷での開幕戦でリング上に選手が勢ぞろい。アントニオ猪木は、長州力以下11人の大量離脱者を出したことを観客に報告した。
カルガリーで共に活躍した平田淳二(後に淳嗣)はストロング・マシーン1号となり新日マットを席巻していて、同時期に帰国した高野俊二(後の拳磁)は〝凱旋〟扱いで試合に出場した。ところが、なぜか斎藤は試合をせずリングサイドから観戦するだけ。
斎藤が行動を起こしたのは10月9日、川崎市高津身代わり不動尊前広場特設リング。メインに乱入して師アントニオ猪木を襲った。これで斎藤のマシーン軍団入りが決定的となり、13日の熊本・阿蘇町から試合に参戦を果たした。
斎藤は後年、このときのことを、選手が大量離脱したため会社から帰国命令が下ったが、それを拒否すると藤波辰巳(現・辰爾)から電話があり、藤波の顔を立てて帰国を決めたと明かした。マシーン軍団が思いのほか人気を呼び、大量離脱の影響は少ないとわかると、ある幹部から〝お前がいなくても大丈夫だから、海外へ行け〟と手のひら返しを受け、試合を組まれなかったという。
新日への気持ちが切れたという斎藤は、スーパー・ストロング・マシン、高野俊二と翌85年8月、新日を離脱して日本で初となるプロダクション「カルガリー・ハリケーンズ」を結成した。
新日との契約がクリアされると、3人は全日本プロレスへも参戦し、斎藤は世界ジュニアヘビー級初代王座を獲得。ジャイアント馬場からプロレス巧者として認知された。
後に斎藤は、「楽しかったのはnWo。そしてカルガリー・ハリケーンズ」と振り返っている(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る













