前々回では“呪術師”アブドーラ・ザ・ブッチャーが外国人として初めて全日本プロレス「チャンピオン・カーニバル」を制覇した快挙について触れた。当時は黒人選手がカーニバルを制することは画期的な“大事件”だったが、ブッチャーよりもはるかに早い1950年代から、人種差別の激しかった米国で正統派の黒人王者として大人気を集め、白人にも愛されるベビーフェースとして歴史を変えたのが“黒い魔神”ことボボ・ブラジルだ。

 195センチ、127キロの体格から繰り出す頭突き(ココバット=アイアンヘッドバット)の威力はすさまじく、初来日は57年8月。力道山との「空手対頭突き」のシングルマッチは大々的な話題を呼んだが、ココバットの連打で力道山が大流血。危険を察知したブラジルが試合を放棄したとされる。あまりの強さのためか、力道山は存命中、2度とブラジルを招へいすることはなく、2度目の来日は実に約11年後の68年6月まで待たねばならなかった。

 来日初戦の6月25日名古屋では、ジャイアント馬場を破りインターナショナル・ヘビー級王座を獲得(2日後に馬場が奪還)。馬場は65年に復活した同王座を21回連続防衛していたが、初の王座転落となった。日本でも超一流扱いで、全国に“頭突き旋風”を巻き起こした。

 そのブラジルは再来日前の66年9月、ロサンゼルスでバディ・キラー・オースチンを破りWWA世界ヘビー級王座を獲得する快挙を達成している。63年8月にベアキャット・ライトがフレッド・ブラッシーから同王座を奪って以来、2人目の黒人王者となったが、人種差別の壁を乗り越えた人気や品格などを考えると最初の“最強黒人王者”と呼べる存在だった。本紙は特派員を派遣してこの歴史的一戦を1面で報じている。「魔神、血の海で王座奪取」の大見出しが印象的だ。

『プロレス史上2人目の黒人世界チャンピオンが誕生した。狂犬バディ・キラー・オースチンに黒い魔神ボボ・ブラジルが挑んだWWA世界ヘビー級選手権は2日(日本時間3日)オリンピック・オーデトリアムに超満員1万1000人を集めて行われた。前半は王者がパンチ、ニースタンプで優勢に立つも、15分過ぎにブラジルの必殺アイアンヘッドバット(鉄槌の頭突き)が爆発。合計27発の乱打でオースチンは額を割られて血だるま。ついに25分15秒、ドクターストップがかかってTKO。2本目も王者は失神状態で控室へ担ぎ込まれて試合放棄。黒い魔神は63年にベアキャット・ライトが銀髪鬼フレッド・ブラッシーを倒して以来、3年ぶり2人目の黒人世界チャンピオンとなった。7割が黒人の場内は総立ち。警官隊が出動してオースチンは救急車で病院に運ばれた。ブラジルは「白人を倒して王者になったのは初めて。17年もプロレスをやっていて世界タイトル挑戦の機会も与えられなかった…」と語った』(抜粋)。

 とはいえ50年代から80年代までルー・テーズ、ジン・キニスキー、ジャック・ブリスコ、ハーリー・レイスらのNWA世界ヘビー級王座にも挑戦しており、NWA、WWWF(現WWE)、WWAなど各団体で人気を集めた。多くのベルトを奪取したが「世界」の冠がついたシングル王座はこれが初めてだった。ブラジルは17日のリマッチでもオースチンを退けて初防衛に成功している。

 日本でも馬場のライバルとして多くの名勝負を展開。87年に引退するまで最前線で活躍を続けて94年にはWWF殿堂入りも果たした。人種差別の激しい時代、同胞のみならず世界中のファンを魅了した“英雄”だった。(敬称略)