【マンマーク サムライDF水本裕貴の奇跡(最終回)】2020年からJ2町田で2年間を過ごし、22年に、千葉で同期入団の鷲田雅一さんに誘われてJ3相模原に移籍しましたが、シーズン序盤の4月に右下顎骨骨折の重傷を負います。ドクターからは引退を勧められましたが、復帰することだけを考えてリハビリに取り組み、試合に戻ることができました。ただ、シーズン後の11月には来季の契約更新をしないことが発表されます。

 今後をどうしようかなと考えている中、開幕したカタールW杯をテレビ観戦。日本代表を指揮する森保一監督の姿を見て次はこういう作戦か、こんな選手交代かと想像しながら応援していると予想はほぼ的中でした。「ポイチさんは変わってないな」とブレない姿勢に感服していましたが、次第に「俺が指導者ならどうしたかな」などと考えるようになりました。

 W杯が終わり23年の1月になって現役引退を決断します。直接的ではないのですが、森保ジャパンの戦いが「今後」を考えるキッカケになりました。これまでは「練習、休養、食事」のサイクル。常に目標を定め、そのために何をするかだけに思いを巡らせてきたので辞める決断をしたものの、何をしていいのか。しばらくは思考回路が停止した状態でした。

 それに食事にも困りました。選手時代はトンカツなど、揚げ物は一切食べていません。嫁さんには子供用と自分用の食事を用意してもらっていました。なので、引退を決めてからトンカツを食べに出かけたのですが、まったくの無意識で衣をはがしていました。しかも体がフライものを受け付けず、気分が悪くなって「さすがにやばいな」と、今後の生活に恐怖を覚えましたね。

 現在はJ1横浜FCスクールコーチとして活動中。まずはJクラブの監督になれるように勉強しながら公認S級ライセンスの取得を目指していきたいです。「日本代表監督を目指すか」と聞かれますが、まずは地に足を着けてです。それと自分が三重高校時代に選手として成長できたという実感もあるので、育成年代やユースの指導にも興味を持っています。

 京都時代に京セラ創業者で実業家の稲盛和夫さんと対面する貴重な機会があり「慢心は最大の敵、謙虚に精進せよ」との言葉をいただきました。今でも自分の芯になっているもので、今後もこの言葉を忘れず、少しでもサッカー界に貢献できるように努力していくつもりです。 (おわり)