【マンマーク サムライDF水本裕貴の奇跡(11)】 J1広島に所属して9年目、困難な状況に直面しました。2017年の半ばに森保一監督が辞任し、18年に就任した城福浩監督率いるチームは優勝争いをリードするも終盤に失速。優勝を逃すと、19年シーズンに向けてチームが世代交代を推し進めたこともあり、試合に出られなくなります。
あまり出場機会がない中で、北京五輪の指揮官でJ1松本の反町康治監督から「半年だけでも来ないか」と声をかけてもらいました。8月にレンタルで加入。J1残留争いを繰り広げていた松本は残念ながらJ2に降格。シーズンが終わって広島へ戻ることが決まったとき、反町監督がうなぎをおごってくれたのは印象的でしたね。
20年には再びレンタルでJ2町田に移籍しますが、そのシーズン前にマネジメント会社の計らいで当時イングランド・チャンピオンシップを戦っていたリーズに短期留学します。指揮官は“鬼才”と呼ばれ、日本代表の監督候補に挙がったこともあるマルセロ・ビエルサ監督。アルゼンチン代表を指揮し、斬新な戦術で世界を驚かせた名将の下でトレーニングできるのは楽しみでした。
実は、ビエルサ監督と“対面”するのは2度目。北京五輪前の08年5月にU―23日本代表が臨んだトゥーロン国際(フランス)で対戦したチリの指揮官でした。1次リーグ最終戦でチリに0―2で敗れましたが、僕自身は最優秀選手賞の第3位に選ばれるなど、五輪へ向けて大きな自信を得られた大会でした。
そんなことを思い出しながらリーズの練習に参加。英国ならではの激しさとテンポの良さを体感したのと、ビエルサ監督が醸し出す雰囲気でピッチは常に緊張感に包まれていて、体も頭もヘトヘト。でも心地良い疲労感です。短い期間ながら得るものが多い、貴重な時間を過ごせました。
日本への帰国が迫ると名将から「ここに残ってもいいんだぞ」と言っていただきました。後に聞いたところ、ビエルサ監督は、かつてトゥーロン国際で対戦した僕のことを覚えていたようで、日本での試合映像を取り寄せてプレーを確認。チームにケガ人が出たこともあって本気で獲得を考えていたそうです。
世界最高峰リーグでプレーするチャンスと心が躍りましたが、すでに町田入りが決まっていたこと、リーズでの練習中に太ももに違和感があったことなどから即戦力にはなれないと考えて、丁重にお断りしました。












