【マンマーク サムライDF水本裕貴の奇跡(4)】 市原(現千葉)に入団した2004年の夏以降も苦難の日々でした。少し試合に出られるようになっていたものの、ケガ人が出たときや主力選手が日本代表に招集されて不在のときばかり。後に日本代表を率いるイビチャ・オシム監督から褒められたことは一度もなく「こうしろ」「ここを伸ばせ」などのアドバイスすら言われたこともありません。直接、声をかけられるのは「何やってんだ」と怒られるときだけでした。

書き込んだサッカーノートは77冊に及んだ(本人提供)
書き込んだサッカーノートは77冊に及んだ(本人提供)

 なのでレギュラーになるため、オシム監督の考えを理解するには日々のトレーニングしかありません。複雑な練習メニューの意図を自分なりに解釈し、どういうポジションを取ればいいか。どこにパスを出せばいいか。どう動けばいいか。動きながらずっと考え続けていました。厳しい練習で体は疲れていましたが、それ以上に思考をフル回転させなければならないので頭の疲労はたまるばかりでしたね。

 ところで、僕は三重高校時代からサッカーノートをつけています。毎日の練習メニューや自分の感じたこと、コンディションなど、さまざまなことを書き留め、現役を引退するまでに計77冊に達しました。コクヨのノート「キャンパス」を愛用し普段は50枚のものを使っていたのですが、オシム監督の指導を受けるようになってからは「キャンパス100」に変えました。毎日ノートに記すことがたくさんあったので本当に大変でした…。時には気力が尽きて、翌日に持ち越すこともありましたが、これまで積み重ねた貴重な資料ですし、見返すことで選手生活にも役立ったと思います。

 余談ですが、オシム監督のもとでは、チームのスケジュールが事前に決まっていませんでした。日々の練習後にようやく翌日の集合時間などが決まり、選手たちにアナウンスされます。ただ、夜遊び防止のためと思われるのですが、チームから突然連絡が来て「オシムさんが〇時から練習を始めると言っている」と時間が変更になることも頻繁にありました。

 戸惑ったのはほとんどオフがなかったことですね。例えば、午前中から練習し、翌日の練習は午後からという日があってオシム監督は「練習と練習の間が24時間あるんだから1日オフになるだろ」という考えでした。ただ、こうした取り組みの結果、05年に初めてナビスコカップのタイトルを手にし、06年には自分もピッチに立って2連覇を果たすことになります。