3月開催の第5回WBCで「日本の4番」に座るであろうと目されているのが、昨季「世界の王」を超えるシーズン56本塁打を放ち、史上最年少の3冠王に輝いたヤクルト・村上宗隆内野手(23)だ。
2021年の東京五輪でも侍ジャパンのメンバーに選ばれ、主に8番を打ちながら日本の金メダル獲得に大貢献。決勝の米国戦では3回に先制ソロを放った。
だが、そんな村上でも高校時代のU18日本代表では、選出漏れを経験している。高校通算52本塁打を放ち、同年のドラフトではヤクルト、巨人、楽天から外れ1位指名されるほどの実力を持っていた選手だったが…。なぜなのか。
「チームバランスの問題が大きかったのでは」と振り返るのは高校球界関係者。2017年のU18ワールドカップは、カナダのサンダーベイで行われ、日本代表は銅メダルに終わった。
当時の野手の主力メンバーは清宮幸太郎(早実―日本ハム)、中村奨成(広陵―広島)、安田尚憲(履正社―ロッテ)、増田珠(横浜―ソフトバンク)らの3年生に加え、2年生の小園海斗(報徳学園―広島)、藤原恭大(大阪桐蔭―ロッテ)ら。
投手では清水達也(花咲徳栄―中日)、三浦銀二(福岡大大濠―法大―DeNA)、山下輝(木更津総合―法大―ヤクルト)、田浦文丸(秀岳館―ソフトバンク)らそうそうたるメンバーが名を連ねていた。
「当時はやはり清宮が中心でしたから。高校時代の村上のポジションは捕手か一塁手。一塁なら同じ左打ちの清宮がいたし、安田も左。小園、藤原もスタメンで使うとなると左だらけになってしまう。捕手は中村と古賀(悠斗=福岡大大濠―中大―西武)の2人でしたが、村上の捕手としての力はちょっと足りなかった。甲子園で活躍した中村はもちろん、古賀だって村上に引けをとらない右のスラッガーでした。捕手としても中村、古賀という選択だったと思います」(前出の関係者)
中村は3年夏の甲子園で、清原和博の記録を更新する「1大会6本塁打」をマーク。古賀も高校通算52本塁打を放っており、同じく代表に選ばれた三浦とバッテリーを組んでいたという部分も考慮されたのだろう。一塁では高校通算本塁打の歴代最多記録(111本)を持つ清宮がいる以上、あの時点ではどうしようもなかったというのが正直なところか。
その村上が三塁に転向したのは、ヤクルトに入ってから。もともと将来性を高く買われてはいたものの、そこからの猛練習で守備を磨いて2年目には一軍のレギュラーを取り、一気に球界を代表するスラッガーへと成長した。
高校時代に同世代の日本代表に漏れた選手が、そこからわずか4年後の東京五輪で、日本代表のトップチームで大活躍。さらに2年後にはWBCで4番を張る選手にまで…。
その成長グラフには、すさまじいほどの伸びがある。












