日本代表で繰り広げられた“007活動”の舞台裏とは――。1992年に日本代表は初の外国人指導者、オランダ人のハンス・オフト監督を招聘。すると、日本サッカー協会の強化委員会に対して、世界レベルの本格的なスカウティングを求めるようになった。チーム強化とともに敵国の情報収集を進めることで、92年広島アジアカップ優勝、96年アトランタ五輪出場、98年フランスW杯初出場など、日本サッカーは飛躍的な進歩を遂げていった。

 2006年ドイツW杯に向けて誕生したジーコジャパンも歴代の日本代表と同じようにスカウティングを重視。事前に敵指揮官の戦術や采配の分析をはじめ相手選手の特長などのデータを収集した上でスタメンやフォーメーションなど、決戦直前に敵国の生情報を得ることを目的とする専門チームを発足。映画「007」さながらのスパイ活動を行っていた。

 当時の代表スタッフによると、某大会で対戦する宿敵・韓国代表の実情を探るため、ジーコ監督の実兄でテクニカルアドバイザー(TA)を務めるエドゥーとテクニカルスタッフの和田一郎氏が同国代表のトレーニングに潜入することになり、非公開の練習場に潜り込んだ。「2人は清掃作業員に変装し、作業着を着込んで、竹ほうきなんかも持っていった。グラウンドの隅にある用具小屋に隠れて練習を見る予定だった」という。

 ところが韓国代表チームが到着する直前、倉庫に潜んで情報収集することを決め、見つからないように出入り口のシャッターを下ろそうとしたものの、壊れていてまったく動かない。2人は仕方なく、用具の裏に隠れようとするも、練習を見られるような状況ではなかった。そこで2人は「どうしようか」と思案し、周辺を右往左往していると、韓国代表チームのバスが到着。チームスタッフがグラウンドを見回っていると、ついに“発見”されてしまった。

 後日、エドゥーTAから「潜入失敗」の詳細を聞かされたというスタッフによると「韓国チームのスタッフから『お前らは何しているんだ?』みたいなことを聞かれたらしい。韓国語なので何を言っているかはわからなかったみたいだけど。それで取りあえずほうきで床をはくジェスチャーをしながら、慌ててその場を離れ、問い詰められることなく逃げ切れたそうだ」という。

「エドゥー(TA)さんは『もうダメかと思ったよ。でも掃除しながらグラウンドを出て行ったから(日本のスパイとは)バレていないと思うぞ』と言っていたけど、生きた心地がしなかったらしい」。そのときは、残念ながら情報を得ることはできなかったが“隠密行動”が露呈すれば両協会の関係にもひび割れが生じかねなかっただけにまさに“危機一髪”だったようだ。 (敬称略)