【多事蹴論(51)】 世界を驚かせた衝撃2ゴールの舞台裏とは――。日本代表が初出場した1998年フランスW杯で1次リーグ3戦全敗と結果を出せなかった中、21歳のMF中田英寿が好パフォーマンスを発揮。大舞台で強烈な存在感を示すと、多くの欧州クラブが日本の若武者に関心を示した。

 そんな中「世界最高峰リーグ」と呼ばれていたイタリア1部に昇格したばかりのペルージャが獲得に乗り出し、同年7月、移籍金400万ドル(約5億3000万円)で平塚(現J1湘南)から完全移籍することが決定。Jリーガーとしては、94―95年シーズンに同1部ジェノアに所属したFW三浦知良に続き2人目の海外進出を実現させた。

 そして迎えた同年9月13日のイタリアリーグ開幕戦。中田は本拠地レナトクーリでリーグ3連覇を狙うユベントス戦でデビューを果たした。イタリア代表FWアレサンドロ・デルピエロ、同FWフィリッポ・インザギ、フランス代表MFジネディーヌ・ジダン、同MFディディエ・デシャンらが所属するスター軍団を相手に前半が終わって0―3と大苦戦する中、中田が魅せた。

 後半7分に右足シュートでゴールを決めると、14分にはこぼれ球に中田が反応し、2ゴール目と圧倒的なパフォーマンスを示した。その後、王者に加点を許した試合終盤にペルージャはPKを獲得。中田をキッカーに推す声も出る中、遠慮したのか、ボールに近づくことはなかった。試合は3―4で敗れたものの、アジア出身のルーキーが真価を見せつけ、世界が注目する存在となった。

 中田が最高のデビューを飾った裏では、ペルージャのオーナーでイタリア人実業家のルチアーノ・ガウチ会長はブチ切れていた。息子の同級生を“愛人”として連れ歩くなど、自由奔放な性格で知られていたが、試合後に「なんで中田にPKを蹴らせないんだ! 決めればユベントスを相手にハットトリックだったんだぞ」などとスタッフに詰め寄ったという。

 ガウチ会長と言えば地元メディアに「守銭奴」と報じられるほど、お金に執着。ペルージャを支援するのも自身の事業を拡大するための戦略で実際に自らが立ち上げたスポーツメーカー「ガレックス」をペルージャのサプライヤーにするなど“やり手”としても知られていた。それだけに中田がより大きなインパクトを与えられる「ハットトリック」達成ならば、シーズンオフに高額で売却できるという“計算”が働いた模様。このため、チームの善戦や中田の活躍をたたえるよりもPKを蹴らせなかったことに不満を訴えたわけだ。

 99年夏には欧州クラブからオファーが届くも移籍金に納得できなかったガウチ会長は首を縦に振らず、2000年1月に移籍金1600万ドル(約21億3000万円)でイタリア1部ローマに放出した。 (敬称略)