【山本美憂もう一息!(21)】2012年ロンドン五輪に続き、4年後のリオデジャネイロ五輪も出場を目指しました。カナダ代表としてです。

 カナダ・トロントを拠点にして5年近くが経過していました。指導を受けるコーチに「カナダ代表として五輪に出場できる。やってみよう」と強く勧められたのです。国籍変更は大きな決断でしたが、幼いころからの夢をかなえたい私にとって魅力的なオファー。何よりコーチや周囲の人が本気になって動いてくれたのです。永住権の取得も彼らのおかげもあって2週間で取れ、国籍取得のステップを踏むことにしました。

 しかし、15年12月の五輪予選会前日になっても吉報は届きませんでした。出場できないなら仕方がありません。コーチは飛行機で4時間かかる開催都市へ向かい、私はトロントに残りました。「試合もないんだし」と長女ミーアとドーナツを買って家で一口食べようとしたところコーチから電話がかかってきました。「美憂、国籍の許可が下りたよ! 今すぐ体重を落として。明日の朝一番の便でこっちにきて」と言うのです。すぐにドーナツを置きました。

 その時点で4・6キロオーバー。計量が行われる翌日夜まで24時間しかありません。自分の気持ちにエンジンがかかるまで待ち、夜10時に「よし、やるしかない!」と立ち上がりました。寒い冬の夜にランニングをし、熱いお風呂に入って汗をだらだらと流し、サウナスーツを着てまた汗を出し、2・5キロを落としました。次の朝、飛行機移動で300グラムぐらい落ち夕方に会場に着いてからまたサウナに入り、計量前に落としきりました。

 しかし計量会場でいざ体重計に乗ろうとしたら「ダメだ」というのです。カナダのレスリング協会会長が「パスポートがないと認められない」と言うのです。コーチもあきらめきれず、涙ぐみながら猛抗議してくれたのですが、拒否されました。

 国籍取得は間に合っていたのに…。後から知ったのですが、協会会長の教え子が私と同じ階級にいたそうです。みんな「それが理由だよ」と納得できず。大会後も弁護士を立てて闘ってくれたほどでした。

 結局、私はずっと心に描いてきた五輪出場の夢を実現することはできませんでした。でも、思うのです。五輪に出ていたら、私は今、総合格闘技(MMA)をやっていたかな、と。

 MMAがとても楽しいし、選手になれて幸せです。レスリング同様、ボクシングも、もともと好きでした。この年齢で現役として新しいことに挑戦し、大好きなことをやれるなんて、なんてラッキーなんだろうと思います。何年もかけて五輪を目指したからこそ、選手としての体力も衰えていませんでした。

 今自分がいるこの幸せな環境は、過去があるからこそ。無駄なことは何もないと思うのです。

 ☆やまもと・みゆう 1974年8月4日生まれ。神奈川県出身。72年ミュンヘン五輪代表の父・郁榮氏の影響で小2からレスリングを始める。87年に中1で女子初の全日本選手権を制覇(44キロ級)し、47キロ級も含め5連覇。同選手権では計8度の優勝を誇る。91年、年齢制限のある世界選手権に特例で出場し史上最年少の17歳で優勝。94、95年も世界を制した。2016年にMMAに転向し「RIZIN」で女子格闘技をけん引。3人の子を持つ母。156センチ。