【山本美憂もう一息!(16)】2001年9月、スイスで行われた国際オリンピック委員会(IOC)理事会で04年アテネ五輪でのレスリング女子種目採用が決定しました。女子選手や関係者にとって、五輪種目入りは悲願でした。00年シドニー五輪でも実施されると言われながら結局、実現しなかったので「やっとこの日が来た」と、みんな大喜びしました。
私は1999年を最後に競技から離れていましたので、朗報にも「よし、私も出るぞ!」という気持ちにはなかなかなりませんでした。急に練習を始めて勝てるほど、勝負の世界は甘いものではないことは分かっていました。それに当時、世界チャンピオンだった聖子に出場してもらいたい思いのほうが強かったのです。しかし父(郁榮氏)から聖子の練習相手として呼ばれ汗を流すようになると、父から「お前もついでに挑戦しろ!」と言われるようになりました。次第に「私もやってみるか」という気持ちに傾いていきました。
連載第1回でもお伝えしたように、父は72年ミュンヘン五輪代表。不可解な判定で敗れ、メダルを逃しています。私の名前、美憂はミュンヘンから取ったそうです。聖子の名前も、聖火の聖の字が関係しています。父にとって五輪を良い思い出の場に変えてあげたい。私たち姉妹が揃って五輪に出れば、父がコーチとして「五輪に行ける」と考えました。
02年の全日本選手権で再びマットに立ち、聖子とともに五輪代表を目指しました。当時7階級あった女子ですが、五輪では4階級のみの実施。世界のトップクラスが各階級に揃う日本は、非常に厳しい戦いになりました。聖子が03年世界選手権(ニューヨーク)で優勝した59キロ級は、残念ながら採用されず。55キロ級に下げざるを得ませんでした。同級には、連勝街道をひた走る吉田沙保里さんがいて、02年から世界選手権2連覇中。強力なライバルでした。
03年12月の全日本選手権で優勝を逃した私たちは04年2月、五輪代表最終選考会となるクイーンズカップに背水の陣で挑みました。残念ながら私は準決勝で敗戦。聖子は決勝で吉田さんに敗れ、アテネ行きの切符をつかむことが…。インタビューで聖子は「父を五輪に連れていけなくなった。親不孝者な娘」と涙を流して語りました。
夢破れ、私も涙が込み上げてきました。もっと階級があったら、とも思いました。報道陣に対し「いい結果は出せませんでしたが、聖子と合宿に行ったり、いい時間を過ごすことができたな、と心から思います」と気持ちを述べました。
この日の夜、私たちを最高の形で元気づけてくれたのが、弟のノリ(徳郁さん)でした。
☆やまもと・みゆう 1974年8月4日生まれ。神奈川県出身。72年ミュンヘン五輪代表の父・郁榮氏の影響で小2からレスリングを始める。87年に中1で女子初の全日本選手権を制覇(44キロ級)し、47キロ級も含め5連覇。同選手権では計8度の優勝を誇る。91年、年齢制限のある世界選手権に特例で出場し史上最年少の17歳で優勝。94、95年も世界を制した。2016年にMMAに転向し「RIZIN」で女子格闘技をけん引。3人の子を持つ母。156センチ。












