【山本美憂もう一息!(14)】1999年9月14日、母(憲子さん)が白血病のため亡くなりました。同日はレスリングの世界選手権(スウェーデン)女子51キロ級で初優勝した妹の聖子が戻ってくる日。聖子は母に会いたい一心で、メダルを手に到着ゲートに降り立ちました。しかしすぐに選手団から離され、空港で家族から悲しい現実を知らされました。
私や弟のノリ(徳郁さん)のように留学もせず、ずっと日本で母の近くにいた聖子。いつも「ママ、ママ」と甘えていたママっ子でした。そのショックは、計り知れません。帰国後には都内で金メダリストの記者会見が予定されていました。空港から横浜の自宅に戻った聖子は当然欠席するかと思いましたが、父(郁榮氏)に「おめでたいことだから行ってこい」と促され、気丈にも出席しました。
聖子は多くの報道陣を前に、あふれる涙をこらえながら「自分の口から報告できなかったけど、父から報告できたので。母がそれ(優勝)を知ったのが救い」としっかり語りました。母は審判をしたり、代表合宿で食事を作ったりしていたので選手とも交流がありました。会見に出席した正田絢子さんは大泣き。浜口京子さんもぐっと涙をこらえていた姿が印象に残っています。
通夜、葬儀を終えても、家族全員が悲しみの中にあった約1週間後。当時、山梨学院大に進学していたノリが大会に出場し優勝しました。母が闘病している間は山梨から東京・愛宕の病院まで来て看病し、満足に練習ができていなかったので、まさか出場するとは思いもしませんでした。そして優勝するとは。弟ながら「すごいな」と思いました。
私も全日本選手権に出場しようか悩んでいたんです。でもそれは3か月後。「ノリがこんなに頑張っているのに、お姉ちゃんは何をやっているんだろう」と情けなくなり、大会に向け猛練習を開始しました。
しかし、聖子だけは違いました。突然「レスリングを辞める」と言い出したのです。「人生、1回しかないんだから」と。私は「ええ! そんなんで辞めるのおかしいでしょ!」と反論しました。ノリはちゃんと試合に出て優勝までしている。「もし弱くなったら天国のママが余計悲しむよ!」と叱り、大ゲンカになりました。聖子は日大の寮から実家に戻り、本当にレスリングをやらなくなりました。そして私とまったく口をきかなくなりました。
ノリは山梨に戻り、私と聖子は仲たがい。仲の良い3きょうだいが、母の死の後バラバラになってしまったのです。
☆やまもと・みゆう 1974年8月4日生まれ。神奈川県出身。72年ミュンヘン五輪代表の父・郁榮氏の影響で小2からレスリングを始める。87年に中1で女子初の全日本選手権を制覇(44キロ級)し、47キロ級も含め5連覇。同選手権では計8度の優勝を誇る。91年、年齢制限のある世界選手権に特例で出場し史上最年少の17歳で優勝。94、95年も世界を制した。2016年にMMAに転向し「RIZIN」で女子格闘技をけん引。3人の子を持つ母。156センチ。












