2016年3月。65年にわたって爆音の歴史を刻んだ船橋オートレース場が閉幕した。最強船橋軍団の精鋭は各地に散り、新天地での飛躍を誓っている。そんな中、移籍と同時に今期からナンバーワン勝負服を身にまとう中村雅人(35=川口)には複雑な思いが宿っている。「そう簡単には気持ちの整理はつかない。果たしてこれまで通りやっていけるのか」。葛藤を残しながらホームバンクを川口に移し、第2のレーサー人生を歩む。その彼を直撃した。
船橋GⅠ最終日は約1万3000人の観衆を集め、最盛期に近い盛り上がりを見せた。池田政和が涙を流せば、永井大介も大観衆の前で深々と頭を下げた。流した涙に込められた様々な思いをかみしめながら最愛のホームバンクに別れを告げた。
最終日優勝戦は永井がV。2着に青山周平、3着に中村が入線し、船橋ワンツースリーで有終の美を飾った。
「結果は3着だったけどやるだけのことはやったし、悔いのない形で終えられたことは何よりだった。ただ、レースを終えてから特別な感情みたいなものは不思議となくてすがすがしい気持ちだった」
1年半前の廃止決定報道が出た時点である程度の「覚悟」はできていただけに、いざ最後となっても感慨深いものは湧いてこなかった。1月のGII「さざんかC」終了後に船橋所属選手、競走会関係者、従事員らで木更津に慰安旅行に出掛けた。その宴席でこれまでの出会いと別れ、喜怒哀楽を再び共有した時点で「これで終わりなんだな」ともう後戻りできない現実を受け止めたという。
ファンに別れを告げた最終日終了後も船橋に通う日々が続いた。ロッカーや部品庫の整理など残務処理。それが終われば今度は川口での引っ越し作業。3月末から4月上旬まで心休まる日はほとんどなかった。
「できれば船橋と同じような環境でやりたいけどそれも難しいですから。自分の居場所が変わってもこれまでと同じようにやっていければ結果もついてくると思うんだけど」
船橋時代は師匠の栗原勝測、兄弟子の押田和也、弟弟子の鈴木圭一郎らと常に苦楽を共にした。「妥協しやすい性格の男」が第一人者に上り詰めることができたのも仲間の存在が大きかった。
デビューしてからブレずに一貫していた姿勢が「どんな時でも地元では前々検にレース場に入って、できる限りの準備をする」。5回のSGタイトル、2回のナンバーワン勝負服を手に入れたのもこの信念があったからこそだ。
「エンジンがひと息で整備で迷っている時、前々検に来ていろいろ考えるけど、自分では決断ができないことも多い。そんな時、押田さんに『下周りをやれよ』と言われて結果が出たことも多かった。誰でもそうだけど背中を後押ししてくれる存在が仕事や人生には必ず必要だと思うんですよね」
栗原と押田は伊勢崎、鈴木は浜松に移籍し、それぞれ新たな道を歩む。
川口での中村のロッカーは28期同期に囲まれている。隣にはいつもSGの時は“間借り”していた高石光将、目の前には武藤博臣ら。こんな環境下で新生活が始まる。「自分らより下の期の人間でも辞めていく人間はいるけど、僕ら28期だけが31人の中で1人も脱落することなく選手を続けていることはすごくうれしいことだし、ありがたい」と誇りに感じている。
船橋所属の同期生は8人。川口に移籍し、偶然にも再び地元同期が8人となったのは心のよりどころでもある。
引っ越し作業中にふとこんな言葉を漏らした。
「オートレースのファンはやっぱりホームグラウンドの選手を応援する感情が強い。川口に所属が変わって果たしてすぐに受け入れてもらえるのか。野球の選手だって他のチームから主力を引っ張ってきてもファンは認めたくない感情はあるでしょう。それなりに時間は必要だし、車券に貢献して信頼を得ていくしかない」
船橋で得たもの。船橋を去ったことで失ったものも大きい。「すぐに忘れることはできないし、当面は“名残”でやっていきたい。引きずっていかなければいけないものも絶対あるし、レースをしながら自分でいい環境を作っていくしかない」。心の逡巡(しゅんじゅん)は時間の経過とともに解決してくれることも多いのだ。
☆なかむら・まさと=1981年2月21日生まれの35歳。2003年船橋でデビュー。10年の川口「スーパースター王座決定戦」でSG初V。SGタイトルは5回、GⅠタイトルは8回獲得している。愛車名はKモンソン、ハグラー1、ドンキング3など。今期(2016年前期)から自身2回目のランク1位に輝き、常にナンバーワン勝負服を身にまとっている。28期同期には武藤博臣らがいる。身長160センチ、体重47キロ。血液型=AB。
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