涙はなかった。フィギュアスケートの平昌五輪女子シングル代表・宮原知子(24=木下グループ)が1日、リモートで引退会見を行い、これまでのスケート人生を振り返った。
冒頭でマイクを手にした宮原は「4歳からスケートを始めて、ただただ無心に滑ってきたんですけど、気づけば競技者として本格的にスケートをしていた」と振り返った。「最初はただ楽しくスケートをしていた」というが、結果が出ていくうちに「自分を追い込むようになって」「だんだんと修行のように自分を追い詰めてしまう時期もあった」と苦悩の日々を明かした。もちろん楽しい思い出もあったが「いい結果を出すことが最大の目標」といい、それが「自分にとって絶大な達成感をもたらしてくれるもの」と語った。
全日本選手権は2014~17年に4連覇。15年に世界選手権銀メダル、グランプリ(GP)ファイナルでも15、16年に銀メダルを獲得するなど結果を残してきた。しかし、宮原は「世界選手権で結果がすごく悪かった時に、このまま続けてどんどん自分のスケートが落ちていくだけならやめた方がいいなっていうことも頭をよぎった」「最後っていう覚悟、それくらいの意識でシーズンを通さないとホントに五輪にも行けないし、それ以前の問題になるっていうのはずっと考えていたことだった」などと引退のキッカケを口にした。北京五輪出場が潰えた昨年末の全日本選手権では「辞めようって吹っ切れていた」という。
自他共に認める「美しいスケーティング」という代名詞。その一方でジャンプには苦しんだ。面白いように4回転を跳びまくる海外選手に対抗すべく、最後のシーズンではトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)に挑戦した。宮原は「いま考えるとやっぱり無謀なチャレンジだったな」と、はにかみつつ「本当に練習では惜しいところまで行っていた」「自分の気持ちのどこかで一度は自分ができないような技をプログラムに入れてみたいという夢というか野望があった」「それが1回でもチャレンジできたことは自分の中では意味があった」と振り返った。
今後について宮原は「まだはっきりと自分の中で計画が立ってるわけじゃないんですけど、まずはたくさんのアイスショーに出たい夢がある。フィギアスケーターとして次の人生を歩んで行けたらなと思っています」と氷の上に立ち続ける意向を明かしつつ、一方で「医学の道への夢は持ち続けている」と、もう一つの目標も口にした。











