【多事蹴論(33)】「アジアの壁」と呼ばれたキャプテンの心境とは――。1998年フランスW杯に初出場した日本代表は1次リーグ初戦の優勝候補アルゼンチン戦を前に重苦しいムードに包まれていた。チームのキャプテンで守備の要、DF井原正巳が右ヒザを負傷していたからだ。
日本を史上初となるW杯に導いた岡田武史監督は、本大会に向けて世界的な大物ストライカーを封じるため、システムをこれまでの4―4―2から3―5―2と守備的な布陣に変更。特に初戦のアルゼンチンにはイタリア1部フィオレンティーナでゴールを量産していたFWガブリエル・バティストゥータが選出されており、その対策としてDF強化の方針を打ち出していた。
しかし日本代表はフランス入り後、DFリーダーで「アジアの壁」と呼ばれていたキャプテンの井原が右ヒザを負傷。チームと離れて別メニュー調整となり、アルゼンチン戦にも間に合わない可能性が出ていた。1対1の強さや空中戦の競り合いなど日本代表ではトップクラスの実力者。さらには主将としてチームの統率力に秀でており、格上との対戦に向けて欠かせない戦力だった。それだけに各メディアも「井原が負傷、日本大ピンチ」と報じるなど、井原の参戦可否の動向に大きな注目が集まっていた。
日々のリハビリ動向から「間に合うぞ」「やばいぞ」など各メディアの情報も錯綜。中にはアルゼンチンを困惑させるための“陽動作戦”としてあえて重傷説を流布していると伝えるメディアも出てくるなどチーム周辺は大騒動だった。
そんな事態に陥っていた井原は後に「メディアは大騒ぎだったみたいですけど、普通にリハビリしていました。しっかり試合に出られるように準備するしかなかったので。日本から送られてきた新聞記事を自分の部屋の冷蔵庫に貼って…。東スポもあったかな? 当時はファクスでしたけど、その記事を見ながら『どれが当たるかな』って。焦りはなかったです」と振り返っていた。
周囲の喧騒をよそに井原自身は冷静だった。練習試合にも出場せずにリハビリに専念した。6月14日の初戦まで1週間に迫ったところで痛めた右ヒザが順調に回復していることを確認。初戦出場の見通しが立ち、メディカル部門からもGOサインが出された。当時、キャプテンは「走ったりするのは大丈夫。まだ痛みはあるが、アルゼンチン戦は出たい」と意気込みを語っていた。
結局、井原は初戦を含めて1次リーグ3試合にフル出場したものの、日本代表はアルゼンチンに0―1、クロアチアに0―1、ジャマイカに1―2と3戦全敗で初めてのW杯を終えたが、カズことFW三浦知良のW杯メンバー落選に続いての日本代表チームを揺るがしたアクシデントだった。












