【お宝写真館】女子プロレス・スターダムの世Ⅳ虎vs安川惡斗が、凄惨な内容で話題となった。意外だが、2月に亡くなったばかりの元柔道五輪金メダリストのウィリエム・ルスカは「ケンカマッチ」の先駆者だった。写真は1976年8月7日、新日本プロレスのブラジル遠征で行われたイワン・ゴメスとのバーリトゥード戦でルスカが張り手攻撃を仕掛けた瞬間だ。「他流試合ですさまじい柔道の当て身攻撃」と本紙が1面で報じている。
同年の2月にアントニオ猪木と激闘の末、敗れたルスカは、再戦を迫って新日本のブラジル遠征に割って入った。そこで組まれたのがゴメス戦。遠征初日のリオデジャネイロ市マラカナン体育館に7000人の大観衆を集めた大会のメーンで「柔道対バーリトゥード」の異種格闘技戦が行われた。
ゴメスは74年から約2年間、新日本でプロレス修行を積み、帰国後はブラジルでバーリトゥード王者に君臨。当時バーリトゥードはレスリングや柔術をベースにして素手で戦う実戦的格闘技を意味した。
この試合、ルスカはゴメスの顔面に鉄拳攻撃を加え、右目尻から大流血させた。最後はゴメスがエプロンでルスカの首を絞め続けたため、リングアウトの裁定が下された。英雄の敗退とプロレス流の不可解な裁定に観衆は激怒。リオデジャネイロ市体育協会が、レフェリーを務めたミスター高橋とルスカに対し「ブラジル国内でのあらゆるスポーツに永久出場停止」の厳しい処分を下したほどだった。ゴメスは9針を縫う重傷を負った。
遠征では3大会が行われ、ゴメスにはストロング小林、木戸修が挑戦。いずれも敗れている。後の総合格闘技ブームの源流となったバーリトゥードだが、猪木はこの試合形式をそのまま日本に持ち込むことはしなかった。「日本人には受けない」との直感からだろうが、的確に時流を読める猪木ならではの正しい判断だった。
これ以降、時折「ケンカマッチ」と呼ばれる試合が出現するが、いずれもプロレスというジャンルの深さを際立たせる悲惨な結末に終わっている。(敬称略)












