【多事蹴論(18)】フィリップ・トルシエ監督が率いる日本代表は2002年日韓W杯に向けてチーム強化を進めている中、00年12月に国際親善試合の韓国戦に臨んだ。チーム最年長となる33歳で選出されたキング・カズことFW三浦知良は試合前日、まだ22歳ながら注目の“天才レフティー”MF中村俊輔を見かけると、仰天要求を突き付けた。

 カズ 俊輔、お前わかってんだろうな。明日の試合でオレにスーパーなパスを出せよ。

 俊輔 へ? そんなのありですか。まあ、頑張りますよ。

 カズ 触るだけでゴールになるスーパーなパスだよ。俊輔ならできるだろう! わかったな。

 俊輔 そんなの…。

 カズ スーパーなパスを出してくれたら「ヒーロー」って呼んでやるから。まあ、まだ「スター」と言うには早すぎるからな。わかったか、ヒーロー。

 俊輔 スターはカズさんだけで十分ですよ。頑張ります…。

 1998年フランスW杯の直前に日本代表メンバーから落選したカズは当時、京都の所属。トルシエ監督は海外経験が豊富なカズを何度も招集するなど、高く評価していた。しかも、同シーズンにJ2降格が決定した京都で17得点をマークするなど、抜群の存在感を示し、自身初となる02年日韓W杯への出場が期待されていた。

 一方の俊輔は当時、横浜Mの所属。同年に史上最年少でJリーグの最優秀選手賞(MVP)を獲得するなど、飛ぶ鳥を落とす勢いの好パフォーマンスを披露。特に左足から繰り出される華麗なパスで数々のゴールを演出し「天才司令塔」と呼ばれていた。すでに欧州クラブからも注目されており、次世代の日本代表を担う新10番候補として売り出し中だった。

 そんな中、カズの発言は“上から目線”ともいえそうだが、人気急上昇中で“スター街道”を歩み始めていた俊輔に対し『実力を示してみろ』というメッセージと、さらなる躍進に向けて『慢心するな』との意味が込められていた。それを察した俊輔も大ベテランの言葉をしっかりと受け止めており、カズは現場にいた本紙記者に「あいつ、本当にいいやつだよな」と漏らしていた。

 そして迎えた韓国戦で俊輔はスタメン出場し、前半のみで途中交代。カズはベンチ入りしたものの、出場機会なしで残念ながら2人の“約束”は果たされず、試合も1―1のドローだった。

 くしくも、この試合はカズにとって日本代表として臨んだ最後のゲームとなったが、キングの“ラストメッセージ”を受け取った俊輔はその後もおごることなく、成長を続け、国内外で大活躍。スター選手の仲間入りを果たした。