船木誠勝が語る東日本大震災 「石巻大会に向かう全日本のバスに乗り、高速道路で…」

2021年03月14日 07時00分

プロレスのオールスター戦「ALL TOGETHER」に船木(中)もライガー(左)、佐野と組んで出場した(2011年8月27日)

 ハイブリッドレスラー・船木誠勝(51)が、これまで遭遇したさまざまな事件の裏側や真相を激白する大好評企画。今回の事件は、今日3月11日で発生から丸10年となった東日本大震災にスポットを当てる。未曽有の大災害が起こった時、どこでどうしていたのか。過酷な時間を船木が振り返った。


【THE FACT~船木が見た事件の裏側(3)】2011年3月11日、自分は全日本プロレスの宮城・石巻大会に全日のバスに乗って向かっていました。東北巡業スタートの日だったんです。途中、東北道・那須(栃木県)あたりのサービスエリアで食事をして、会場には午後3時30分ぐらいに到着する予定でした。

「あと1時間ぐらいで着くなぁ」と、うとうとしていたら、みんなの携帯電話が聞いたことがない音で鳴り出して、何人かが「地震くる、地震」と叫んで…。運転手さんはバスを高速の側道に停めました。するとすぐに地鳴りみたいな「ドーン、ドーン」という音が。山が崩れるみたいな音で、そして「ガタガタガタ」と揺れ出しました。バスが倒れそうなくらいの揺れ。後ろの方から「死にたくない!」という声が聞こえました。

 とりあえず揺れが収まったので、バスは再出発しました。でも少したったらまた音がしました。「ドーン、ガタガタガタ」と。テレビをつけたら仙台の空港に津波の水がきていると報じていました。震源地はどこなんだろう、東京はどうなっているんだろうと思い、家族に連絡をとろうとメールや電話を試みたんですが、通じない。「仙台南」という出口の手前でしたね。

 バスの運転手さんが元自衛隊で「停電になるから走れない」と、出口の料金所の横の建物のとことに停めました。4時すぎぐらいだと思います。そしたら吹雪になって、暗くなって…。これはもう無理だと、そこで1泊することになりました。車中泊ですね。食事はもちろんできません。建物の職員の方から水をひとり1本ずつ寄付されたんですが、その水だけで一晩しのぐことになりました。

 翌日は朝6時に東京に向けて出発しました。大渋滞で時速30キロでしか動かない。9時ぐらいに福島に着いて、コンビニに入りました。グチャグチャで、おにぎりや弁当類は一切なく、お菓子とコーラみたいな飲み物しか買えませんでした。それでもありがたかった。前日の正午すぎに食事したのが最後でしたから。

 トイレも大変でした。栃木あたりのサービスエリアで行ったんですが、停電で水が流れなくなったので、便がそのまま積まれていって山盛りになってるんです。ティッシュが1箱だけバスにあったので、それを持って行って、終わったら次の人にわたすという感じでした。争奪戦でしたね。

 そして夕方の4時ごろに、栃木のコンビニでようやくカップラーメンにありつけました。28時間ぶりの食事。あの時のカップラーメンは本当においしかったです。最終的に横浜の全日道場にたどり着いたのは午後10時30分でした。武藤(敬司=当時の全日本プロレス社長)さんの奥さんがカレーをつくって待っててくれました。

 そういえば、前田(日明)さんから当日電話がかかってきました。大丈夫かって。18年6月18日の大阪北部地震のときも電話がありました。何かあったら電話がかかってきますね。

 話を戻しましょう。次の日からも大変でした。外出もできない、電気しか使えない、輸送が滞って物資もない。5月に全日本プロレスが福島に炊き出しに行ったんですけど、みんな疲れ切ってて反応がない。それとやっぱり津波の痕がすごかった…。

 今のコロナ禍で当時のことを思い出しました。外出できない、物が買えないとか、あの時と一緒ですよね。でも、あの3・11以降「試合をできるということはありがたいことだなぁ」と思うようになったのはまぎれもない事実ですね。地震がきっかけになって全団体が集結した「ALL TOGETHER」も開催されましたし。

 いつまで自分が生きるかわかりませんが、やれるときにやっておきたいと思っています。

 ☆ふなき・まさかつ 本名は船木優治(まさはる)。1969年3月13日生まれ、青森県弘前市出身。84年、新日本プロレスに入門。翌年に15歳11か月の史上最年少デビュー(当時)を果たした。89年、UWFに移籍。その後、藤原組を経て93年にパンクラスを設立。ヒクソン・グレイシーに敗れ引退したが、2007年に現役復帰。現在はフリーとして活躍。181センチ、90キロ。主なタイトルは3冠ヘビー級王座。得意技は掌底など。

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