平成のプロレス界は激動期だった。昭和を代表するジャイアント馬場、アントニオ猪木の2大巨頭に代わり、新日本プロレスでは武藤敬司(56=現W―1)らの闘魂三銃士(武藤、蝶野正洋、橋本真也)、全日本プロレスでは四天王(三沢光晴、小橋建太、田上明、川田利明)が台頭し、現代プロレスの礎を築いた。時代の潮目に中心選手として活躍した“プロレスリングマスター”こと武藤は「平成プロレス史」をどう見るのか――。

 ――平成を振り返ると

 武藤 その都度、必死に戦ってきた。それが、すべてだよ。平成を迎えた時? 確か(米国)ダラスにいたんじゃねえかな。元号が変わった瞬間に海外にいるなんて、他の人に経験できないことだから「ちょっと格好いいなあ」って思ったよ。

 ――「闘魂三銃士」と「四天王」が比較された時代だった

 武藤 あまりにも遠い世界のことだったからライバル意識もなかったな。ただ、オレンジのタイツでムーンサルトやったら「あ! 小橋のまねしてる」って言われてカチンときたよ(笑い)。俺は他のレスラーと少し育ちが違って、若い時からアメリカに行ってるからさ。その中で「対全日本」という意識は生まれにくかったよね。どちらかと言うと「対米国」と「対世間」だったから。

 ――対世間で言うとnWoブームがあった

 武藤 あれは仕組みが大がかりだから良かった。そういやアメリカで飯食ったら、ハルク・ホーガンとデニス・ロッドマンにケビン・ナッシュがいて「なんだ、このスケールのデカさは…」と。俺が一番小さいんだよ。他にも野球選手とか、いろんなところを巻き込んだよね。昭和はテレビの時代。それが平成の30年間で徐々に崩れていく中で、他業種のファンの人にプロレスを知ってもらいたかったからね。

 ――団体乱立の時代でもあった

 武藤 あえて言うけどさ、昭和の時代に先輩方がしっかりした仕組みをつくらなかったのが原因だよ(笑い)。俺らは猪木さんの背中を見てるから、全員が全員、独立心を抱いた。長州力さんも橋本も俺も。新日本の社長だった藤波(辰爾)さんまで独立したんだから。乱立の根底は猪木イズム? そう。根っこにあるのは、実は昭和。猪木さんなんだよ。

 ――その中で生まれた団体の一つであるUWFインターの高田延彦との試合(1995年10月9日、東京ドーム)は歴史に残る一戦だった

 武藤 あれは俺のステータスを上げてくれた試合でもあるよな。ただ今の時代に、ああいうものをつくろうとするのは難しいと思うよ。そもそも100団体もあったらイデオロギーもクソもねえし。今、あれくらいのものをやるなら? 新日本とWWEで真っ向勝負しようっていうくらいしかないんじゃねえかな。

 ――平成でレスラー像は、どう変わった

 武藤 昭和は化け物みたいなのばっかり。平成も初めは、そのにおいが残ってて、俺も橋本も「ゲテモノ」ですよ。後半になるにつれ、徐々に普通の人がプロレスをするようになった。世界的にプロレスラーが小型化したな。だんだん、フィギュアスケートみたいなプロレスになっててさ。突き詰めていけば、そのうちロボットとかAI(人工知能)がプロレスするのかなあなんて思う。

 ――そんな時代で、どう存在感を出すのか

 武藤 俺は令和の代表選手になるつもりだから。「AIレスラー」みたいなやつばっかりになっていく中で、生身の人間として勝負してやろうと。ロボットにはできないものがある。プロレスラーとして需要があるうちは絶対、引退なんかしねえよ。プロデューサーとして? 女子プロレスを手がけてみたいんだよ。WWEも(レッスルマニア35で)メインが女子だったし。世界規模でやりたいっていうポリシーがある中で、難しいとは思うけど一回やりたいね。