【大みそかバトル激闘史1】すっかり大みそかの定番となった格闘技イベント。今年も「RIZIN.33」(さいたまスーパーアリーナ)では話題のカードがラインアップされ、注目を集めている。格闘技が日本に根づいた証しとも言えるが、現在につながる大みそか決戦の第1弾がプロレス大会だったことは意外と知られていない。

 2000年12月31日に大阪ドーム(京セラドーム大阪)で行われた「INOKI BOM―BA―YE」は、アントニオ猪木氏のプロデュースで、MMAイベント「PRIDE」を運営したドリームステージエンターテインメント(DSE)が大会をサポート。当時としては画期的なプロレスと格闘技の合体イベントで、猪木氏の信条でもある「プロレスと格闘技に境界線はない」をそのまま表現した大会となった。

「猪木祭り」とも呼ばれた同大会らしく、猪木氏の弟子たちが出場。高田延彦、武藤敬司、ケンドー・カシン、飯塚高史、永田裕志、安田忠夫、小川直也、橋本真也らがMMAファイターとプロレスルールで激突する構図だった。

 そうした中で名勝負も生まれた。新日本プロレスの飯塚&永田がマーク・コールマン&マーク・ケアーと激突したタッグマッチだ。ストロングスタイルとMMAががっちりかみ合い、スリリングな激闘を展開。最後はコールマンが永田をケサ固めで仕留めたが、新日本コンビがプロレスの奥深さを見せつけた一戦となった。観戦していた格闘技関係者も多くが魅せられ、猪木氏も納得のファイトだった。

 さらに高田と武藤のライバル同士がタッグを結成してケン・シャムロック&ドン・フライを迎え撃ったメイン、桜庭和志対カシンの異色の一騎打ち、〝破壊王〟橋本が〝PRIDの門番〟ゲーリー・グッドリッジを力で破った好勝負、小川が安田を98秒殺した同門対決と見どころは多かった。

 もちろん「猪木祭り」だけに「祭り」のムードも漂っていた。大会前にはなぜか〝邪道〟大仁田厚が会場に押しかけ、猪木氏との対面を要求。DSEスタッフにあっけなく追い返されたが、関係者入り口付近は大混乱となった。猪木氏もヘンゾ・グレイシーとエキシビションマッチを行い、グレイシー柔術にコブラツイストを決める〝コア〟なシーンを披露。21世紀の幕開けでは「108つビンタ」から、観衆とともにカウントダウン「1、2、3、ダーッ!」を合唱した。

 ただ…今となってはエポックメーキングなこのイベントも、生中継は現在のように地上波での全国放送ではなく、衛星放送「スカパー!」のみだった。それだけに世間への浸透度はいまひとつだったのだが…。

 翌日、2001年元日でのこと。人影まばらな新大阪駅に現れた武藤は古傷のヒザを引きずり、苦しげな表情だった。思わず「階段上がれないんだよ…」と漏らしたほど。付近にはエスカレーターが設置されておらず、一段一段慎重に上がる姿は痛々しいばかり。武藤が両ヒザの人工関節置換術を受けるのはそれから17年後のことで、前日のメイン戦がいかに過酷な戦いだったのかを物語っていた。
 
 武藤にとっても、後のトレードマークになるスキンヘッドを初公開した記念すべき試合。大みそか決戦は相当な覚悟を持って臨むべきもの…どんなルールであれ、いつの時代であれ、それは変わらないのだ。