【赤坂英一 赤ペン!!】 最近、中日・根尾昂の将来を危ぶむ声がしきりである。4年目の今季、外野手登録されたと思ったら、二軍落ちするや遊撃手に逆戻りして、さらにはプロ入り初めて投手としても登板。二刀流と言えば聞こえはいいが、いまだに何をやらせても実力不足の感が強い。根尾のポテンシャルは本当にこの程度のものなのだろうか。私が根尾の名前を初めて聞いた6~7年前、彼はすでに全国的に有名な存在だった。当時はやった「スーパー中学生」という言葉も、もとはと言えば根尾の代名詞だったのである。根尾は小6だった2012年夏、NPB12球団ジュニアトーナメントに投手として出場。直球最速128キロをマークし、地元岐阜県のシニアリトルやボーイズリーグのチームによる激しい争奪戦が巻き起こった。中には「試合と練習の日には車の送り迎えをつけます」と申し出た遠方のチームもあったという。

 根尾を獲得したのは、まだ創立されて間もない飛騨高山ボーイズ。当時の監督はこんなスーパープレーを覚えていた。

「根尾くんがショートを守っていて、レフトの頭を越える長打を打たれたんです。そうしたら根尾くんはすごいスピードで走っていって、レフトを追い越してボールを捕ると、二塁に送球して打者走者をストップさせた。漫画みたいでしたよ」

 中3だった15年には、中日主催の野球大会ドラゴンズカップにも参加。この時はもうプロ野球界でも有名になっていて、中日二軍本拠地・ナゴヤ球場で行われた試合は、ちょうどトレーニングに来ていた川上憲伸や岩瀬仁紀も観戦している。

 この時、彼らと一緒に視察していたのが元中日投手、コーチで少年野球の指導もしていたOBの水谷啓昭氏。根尾の直球が最高146キロを叩き出した時は、「化け物かと思いました」と言う。
「ナゴヤ球場のスピードガンは辛くてね、当時はプロの投手でも146キロはなかなか出せなかったんです。それを中学生がやっちゃうんだから」

 投球だけでなく、根尾は打っても走っても素晴らしいプレーを見せた。とくに二塁、三塁と果敢に次の塁を奪う走塁には川上、岩瀬も感嘆の声を上げていたそうである。

 当時、立浪監督は評論家をしていたが、根尾の評判は聞いていたことだろう。根尾の中日入りは、そのころから運命づけられていたのかもしれない。早くあのナゴヤ球場での輝きを取り戻してほしい。そう願っているのは私だけではないはずだ。

 ☆あかさか・えいいち 1963年、広島県出身。法政大卒。日本文藝家協会会員。最近、Yahoo!ニュース公式コメンテーターに就任。「最後のクジラ 大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生」「プロ野球二軍監督」(講談社)など著作が電子書籍で発売中。「失われた甲子園」(同)が第15回新潮ドキュメント賞ノミネート。他に「すごい!広島カープ」「2番打者論」(PHP研究所)など。