【楊枝秀基のワッショイ!スポーツ見聞録】神宮球場でのヒーローインタビュー直後だ。広岡、浜田ら若手から祝福の水をかけられた光景が印象的だった。

 20日の中日戦でヤクルト・坂口智隆外野手(36)が同点弾を含む2安打4打点で逆転勝利に貢献。お立ち台での18年目ベテランへの手荒な“イジリ”にチームの雰囲気の良さを感じずにはいられなかった。

 坂口の外見は「イカツイ」。若手からすれば、最初は声を掛けにくいはず。それでも、オリックス時代から人望があった。自らを「チャラ男」「オシャレ番長」と表現しながら、野球には人一倍真剣。話せば頼りになるアニキとあって、後輩に慕われる存在だった。それはヤクルトでも同様なのだろう。

 オリックス時代、最終年となった2015年の坂口は荒れていた。5月上旬に故障もないまま不可解な形で登録抹消。その後、右肘痛発症はあったものの、一軍に呼び戻されることはなかった。水面下では次シーズンでの大幅年俸ダウンを球団から打診され、不信感にさいなまれていた。

「もう、こんな気持ちで野球したくない。お世話になりました。プロ生活13年、今季限りで引退します」。そう口走ったこともあったほどだ。

 いち野球記者の素人目線だが、客観的に見てまだプレーできる。もったいない。応援してくれる人に失礼だ。本人にそう伝えると「分かってるよ。頑張るよ。どのユニホームでも。必要とされるチームで」と坂口は表情を引き締めた。その光景は今も忘れられない。

 坂口を慕う複数の選手からは「チームリーダーに対しなぜ、こういう扱いをするのか。球団を追及してください」との声も入った。とはいえ、こういったドライな一面もプロ野球界。新天地で結果を出して“恩返し”する姿を、陰ながら応援しようと坂口を送り出した。

 移籍1年目の16年から3年連続で150安打以上を記録。坂口はしっかりオリックスに恩返しした。5年目となるヤクルトでも若手に慕われ、頼れるベテランとしてプレーしている。転換期で腐らず前を向いた。坂口の背中を見ていると勇気が湧いてくる。

 ☆ようじ・ひでき 1973年8月6日生まれ。神戸市出身。関西学院大卒。98年から「デイリースポーツ」で巨人、阪神などプロ野球担当記者として活躍。2013年10月独立。プロ野球だけではなくスポーツ全般、格闘技、芸能とジャンルにとらわれぬフィールドに人脈を持つ。