増田大の投手起用で思い出す 巨人のブルペンは昔からストレスがたまる“職場”だった

2020年08月19日 11時00分

長嶋監督(右)の下で苦労した堀内投手コーチ

【赤坂英一 赤ペン!!】巨人・原監督が6日の阪神戦で内野手の増田大を投手として登板させ、物議を醸した。投手は4人残っていたが、11点差もつけられていたため、敗戦処理なら増田大でも務まると考えたらしい。

 原采配への賛否両論は別として、敗戦処理登板を免れた投手にすれば「助かった」が本音ではないだろうか。というのも、巨人のブルペンは昔から、ストレスのたまる“職場”だからである。

 最近では中継ぎ投手の田原が一昨年、契約更改で「ブルペンの環境改善」を球団に要求したことは記憶に新しい。コーチ陣の指示が曖昧だったり、何度も変更されたりするため、しっかり肩をつくれないまま投げるケースが多かった、というのだ。田原は当時「3年連続で訴えているのに何も変わってない」と発言。ブルペンにおける首脳陣の指示系統の混乱が、第2次原監督時代から高橋監督時代まで続く“構造的問題”であることも示唆していた。

 原監督は昨年もシーズン中の8月、ブルペン担当コーチの入れ替えを断行。三沢投手コーチを二軍に異動させ、村田スコアラー室長を現職兼務のままでブルペンコーチに据えている。第2次長嶋監督時代(1993~2001年)の混乱ぶりはもっとすさまじかった。スリッパでベンチ裏にいた木田(現日本ハムコーチ)が突然登板を指示されて、ろくに準備もできないままに登板。その様子が放送局のベンチリポーターのネタになった。優勝争いの大詰めになると、先発のガルベスが2~3回で降板。斎藤や槙原が中継ぎをやらされ、桑田も先発と抑え兼用でフル回転である。

 横浜(現DeNA)戦でセットアッパー岡田が急きょ登板したときのこと。「肩はビシッとつくってきたか」と内野手が聞くと、岡田は「この顔見てよ。汗ひとつかいてないでしょう」と答えたという逸話もあった。

 97年にはドラフト1位新人・入来(のちソフトバンク三軍投手コーチ)が57試合に登板。先輩投手が登板を嫌がったため、新人の入来が投げざるを得なかったことも多かったそうだ。入来は「いい経験でしたよ」と笑い飛ばしていたが。

 そんな長嶋監督時代の投手コーチは、増田大の登板を手厳しく批判した堀内氏。当時、投手起用で苦労をした経験を持つだけに、今回の原采配にひと言言いたかった気持ちはわかる。

 ☆あかさか・えいいち 1963年、広島県出身。法政大卒。「最後のクジラ 大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生」「プロ野球二軍監督」「プロ野球第二の人生」(講談社)などノンフィクション作品電子書籍版が好評発売中。「失われた甲子園 記憶をなくしたエースと1989年の球児たち」(同)が第15回新潮ドキュメント賞ノミネート。ほかに「すごい!広島カープ」「2番打者論」(PHP研究所)など。日本文藝家協会会員。