阪神・藤田平監督 シーズン中に突如解任通告され「甲子園籠城」

2020年05月28日 11時00分

報道陣に囲まれて球団事務所をあとにする藤田監督(奥中央)。時刻は午前2時半を過ぎていた

【球界平成裏面史(34) 96年阪神・藤田平監督解任騒動の巻(1)】平成初めのころ、あまりの弱さから「暗黒時代」とやゆされた阪神タイガース。中でも強烈なインパクトを残したのが平成8年(1996年)9月12日、球団の解任通告に端を発した藤田平監督の“甲子園籠城事件”だ。

 藤田監督は95年途中、就任6年目の中村勝広監督が解任され、二軍監督から一軍に昇格した。人気選手の新庄、85年日本一戦士でベテランの真弓にも甘えを許さない姿勢から付いたあだ名は「鬼平」。選手時代の実績も申し分なく、阪神の生え抜きで初めて2000安打を達成し、名球会入りしている。

 一軍の将として実質1年目となったこの96年はオリックスから平塚を金銭トレードで獲得した以外に目立った補強はなし。それでも懸命に戦力の底上げを目指したが、予想通りチームは開幕から最下位を独走した。外国人選手との衝突も表面化し、9月に入るとスポーツ紙を中心に「解任報道」が激化。そんな中での12日、横浜へのチーム移動を前に甲子園で練習していた藤田監督は球団事務所に呼び出される。待っていたのは三好一彦球団社長(当時)からの突然の「解任通告」だった。

 会談は夕方の午後5時から始まった。甲子園球場内にある球団事務所のプレスルームには多くのマスコミが集結し、ごった返した。勝負の世界だけにこの手の話し合いは、指揮官が低迷の責任を取って記者発表となるところ。だが、この日は全く様相が違った。3時間、4時間…と待てど暮らせど当事者は出てこない。外は真っ暗闇。こっちの腹の虫はとっくにグーグー鳴っていた。報道陣の空腹を見透かしたかのように事務所近くの喫茶店は“商魂”たくましく営業を再開。普段は来ないテレビ各局報道班まで生中継しようとドカドカとやってくる…と明らかに異常だった。

 それにしても「密室」で長時間、一体何をしているのか。物々しいムードの中、藤田監督への解任を通告した三好社長が一度だけ報道陣の前に姿を見せた。「契約年限に異論があるということで話し合いは続行中です」。苦渋の表情で言葉を残し、その後は再び会談にすごすごと戻る始末…。結局、会談は約10時間にも及び、終わったのは何と日をまたいでの深夜午前2時半! 飲み会の「3次会」でもお開きになっている時間帯だ。

 これが“籠城”と言われるゆえんとなったわけだが、会談終了後の藤田監督は「話し合いは平行線。言うことは何もない」とだけコメントし、三好社長も「まだ話し合いは続行中。内容については控えさせてもらいます」と濁しながらも「1年契約ですから今季限り。シーズン途中の球宴時なら解任となるかもしれませんが(この時点で)契約は満了したと考えます」と球団の方針をここで明らかにした。

 普通は「解任」なら拒否できない。いくらゴネても続投は難しいのに藤田監督はなぜここまで抵抗し、できたのか。チーム関係者からは「自分がさらし者にされたことに対しての怒りからかも。社長と刺し違えてユニホームを脱ぐのでは…」と物騒な指摘まで…。

 前代未聞の“籠城劇”から一夜明けた13日の再会談は一転して30分で終了した。記者は矛を収めた藤田監督の真意を聞こうと自宅前に先回りして張り込んだ。幸い球場では無言との情報が入っていた。ダメもとでも仕方ないか。ところが、愛車のベンツを降りて記者を発見した藤田監督は「…。何やおったんか? まあ(家に)入れや」。まさかのチャンス。小躍りするのを隠してその背中に付いていった…。 

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