FC東京やV・ファーレン長崎でプレーし、日本代表にも名を連ねた徳永悠平さん(42)は、地元・長崎で現役生活に区切りをつけた。引退後は解説者として活動する一方、長崎・眼鏡橋近くに「黒豚通り六白眼鏡橋店」を構えた。現役時代に出会った鹿児島産六白黒豚のとんかつに「概念が変わるほどの衝撃」を受け、「この味を広めたい」と踏み出した第二の人生。軸にあるのは今も「感動を届ける」という思いだ。

日本代表としても大活躍した徳永悠平さん(2010年)
日本代表としても大活躍した徳永悠平さん(2010年)

 2018年にFC東京からV・ファーレン長崎へ移籍した時点で「3年でやめる」と決めていた徳永さん。契約は3年。「何があってもここまで」。そう腹をくくり、全てを注ぎ込んだ。4年目は想定しなかった。仮に引き止められても続ける気持ちはなかったと明かす。20年限りで現役を引退。限られた時間に全力を注いだ日々は濃く、引退に未練はない。「やり切った」という感覚が残っている。

 第二の人生のきっかけは、現役時代に出会った六白黒豚だった。自宅近くの店で口にしたとんかつに「概念が変わるほどの衝撃」を受けた。脂身ではなく“白身”と呼びたくなる甘さと口どけ。月に一度は通い、家族や仲間も連れていった。「この味をもっと広めたい」との思いが芽生え、それが長崎で店を構える決断につながった。

 とんかつで最も神経を使うのは揚げ加減だ。「揚げ過ぎない」。素材を生かす時間を見極め、余熱でじっくり火を通す。しゃぶしゃぶも同じく「素材を生かす」ことを徹底する。派手な工夫よりも確実さ。「こんなにおいしいのは初めて食べた」と声をかけられる瞬間が一番うれしい。現役時代、「プレーで感動させたい」と戦ってきた感覚は、店にもそのまま息づいている。

六白黒豚ロースとんかつをアピールする徳永オーナー
六白黒豚ロースとんかつをアピールする徳永オーナー

 解説者としての顔もある。「サッカーをもっと好きになってもらう」。それが軸だ。戦術や相手のシステムを分析し、「なぜこの現象が起きているのか」を丁寧に伝える。現役時代は自分のプレーで精一杯だったが、今は監督の狙いまで考えながら試合を俯瞰する。「伝えるのが自分の役割」。プレーする側から伝える側へと立場は変わったが、サッカーへの向き合い方はむしろ深まった。

 19歳で出場したツーロン国際大会では、ポルトガルのクリスティアーノ・ロナウドと対戦した。「あの衝撃を超えるものはない」。速く、強く、倒れない。ドリブルは止められず、シュートも決める。当時から別格だった。後にマンチェスター・ユナイテッドへ移籍した姿を見ても驚きはなかった。キャリアの中では天皇杯優勝も大きな節目だ。リーグ制覇こそないが、頂点に立った経験は確かな自信になっている。動きのキレでいえば08、09年頃。選手として充実していたのは13、14年あたり。「経験と技術でカバーできるようになった」。積み重ねた時間が支えになった。

 私生活では4人の子供の父。上の子は高校生でサッカーを続け、他の子供たちもそれぞれボールを追う。積極的に指導することは少ないが、「聞かれれば答える」。子供たちの活動を見守り、応援に足を運ぶ。筋トレは週1、2回。「健康でなければ仕事はできない」。ゴルフも楽しむが、体を鍛える習慣は欠かさない。競技者として培った自己管理の意識は今も変わらない。

「感動を与えられなければ意味がない」。プレーで、言葉で、料理で。第二の人生でも、その軸は揺らいでいない。